スポーツ食育インタビュー

17歳でプロデビューを果たし、アテネオリンピックでは日本代表として戦った元プロテニスプレーヤーの森上亜希子さんに、幼少期の食生活やアメリカでの学生時代のお話をうかがいました。

母の方針で「旬のもの」を食べて育った幼少時代

「小さい頃の食生活について、教えてください。」

「私の母は、日本には四季があるので季節のもの、旬のものを食べるように、という方針でした。小さいときは春のお野菜は苦みがあるしアクが強いので嫌だと思うこともありましたが、『旬の食べ物は一番栄養価が高い!』と言われ、四季折々の食べ物が出ました。春はたけのこごはんなど、1シーズンに1回は旬のものを必ず食べさせられていました。」

「“旬のものを食べる”というのは、実は栄養的にもとても素晴らしいことです。同じ食品でも“旬のもの”は栄養価も高いものが多いです。それに何よリ、四季のある国でその季節を味わうことは心も豊かになると思います。」

「朝食はいかがでしたか?」

「子どもの頃はごはんがあまり得意ではなくて、ごはんの代わりにうどんと、お魚、おひたし、卵焼きという純和風のときもあれば、色々でした。」

「好き嫌いはありましたか?」

「春野菜の苦みは得意ではなかったですが、食べられないものは特にありませんでした。ただ子どものころは、牛乳がすごく苦手でしたね。母は背を伸ばしたいからと言って宅配牛乳を取っていましたが、飲まないのでどんどんたまっていました。でも牛乳の風味は好きで、ソフトクリームやグラタンのホワイトソースなどは好きです。
ヨーグルトやチーズは、私も子どもも大好きです。ヨーグルトは毎日絶対食べます。乳製品はからだに良いと聞いているので、やはり自分も子どもにはとらせたいと思っています。」

牛乳やヨーグルトをとるベストタイミングはいつ?

「牛乳やヨーグルトには“無脂肪”や“低脂肪”のものがありますが、子どもに食べさせるのはどちらが良いのでしょうか?」

「普通の牛乳には1リットルパックの中に、約40gのバターに匹敵する乳脂肪が含まれています。ふつうの中高生年代なら400ml程度なので、特に気にする必要はありませんが、スポーツをやっていて量を多く飲む場合は、子どもでも低脂肪乳が良いでしょう。普通の生乳から乳脂肪だけを取り除いたものなら、味的にも問題なく飲めると思います。」

「子どもには毎朝必ず乳製品をとらせていますが、タイミングはいつが良いのでしょうか。」

「1日に1回乳製品を摂るとしたら、タイミング的には夜がおすすめです。就寝直後の深い眠り(ノンレム睡眠)時に成長ホルモンの分泌が多くなるので、その時に血中アミノ酸濃度が高くなっているようにしておくことで、成長ホルモンが効果的に利用されます。
牛乳やヨーグルトには良質のたんぱく質を含みます。成長期には大事な食品ですので、いつ摂っても特に問題はありません。敢えていうなら、牛乳コップ1杯には約7g、ヨーグルト小1個(75g)には3g前後のたんぱく質が含まれているので、ヨーグルトは朝食やおやつ替わり、牛乳は就寝前などがおススメです。朝か夜かを選ぶとするなら、朝やおやつがわりにヨーグルト、夜寝る前に牛乳が良いかと思います。」

寝る子は育つ!いつでもどこでも眠れるから体調管理は万全

「体格は昔から大きめでしたか?」

「そうですね。小学校の時は真ん中より少し後ろで、その後は大きい方でした。今もですが、とにかくよく寝ました。“寝る子は育つ”と昔から言いますが、やはりそうなのでしょうか?」

「様々な国で、年代別の睡眠時間を調査したデータでは、残念ながら日本はどの年代でも一番短い。体格の大きい国は日本より2時間程長いですね。そのぐらい睡眠は大事なのだと思います。」

「私は夜起きていられなくて、自分の中でこれだけは一番譲れないものは何かと言えば、圧倒的に“睡眠”です。自分が選手だった頃も、睡眠だけは絶対にとっていました。テニスという競技は毎週のように移動があり、時差がある。そういう中での体調管理は大変だと思うのですが、あまり時差を感じないほどいつでもどこでも眠れるタイプだったので、さほど苦にならなかったと思います。」

「テニスは運動量が多いし、試合時間が読めないじゃないですか。テニスの選手はやっぱりタフじゃないといけないから、睡眠時間の確保はとても重要かもしれませんね。

7歳から家族みんなでテニスをスタート。とにかくテニスが楽しかった!

「7歳からテニスを始められたそうですが、そのきっかけを教えてください。」

「すごく仲のいいお友達家族と、みんなで一緒に楽しめるスポーツはないかと始めたのがテニスでした。家族全員が一斉スタートで、一緒にテニススクールに通い始めました。」

「テニスに夢中になられた理由を教えてください」

「本当に、楽しかったんですよね。ほかにもバスケットボールやスイミングをしていましたが、テニスが単純に楽しかった。テニスが嫌いにならないように、とにかくテニスは楽しいということを教えてくださったコーチのおかげもありました。」

「運動神経はよかった方ですか?」

「悪くはなかったと思いますが、テニスでなければオリンピックには行けなかったと思います。学生時代はずっとリレー選手で走るのは早かったと思いますが、リズム感はなかったですね。」

「練習はどのくらいしていたのでしょうか。」

「週1回から始まり、年を追うごとに回数が増えて、小学校の高学年になってくると週6日レッスンで、休みは1日だけでした。」

「その頃から才能を発揮し始めていたのでしょうか。」

「人よりも上手いとは全然思っていませんでした。ただ試合に出ることが楽しくて、負けず嫌いで、負けたくない気持ちはすごく強かったです。」

「小学生時代からよく試合に出場していたのですか。」

「はい。テニスは小さい年齢から大会があるので、大会でお友達に会えることも楽しみの一つでした。当初はテニスで全国大会に行きたいというより、東京に、ディズニーランドに行きたいというのがメインで(笑)。全国大会に出られたら東京ディズニーランドに行ける!というのがモチベーションになっていました。」

「ご自身のご経験から、テニスをするにあたり素質や上手になるコツなどを教えてください。」

「技術的なことに関しては、年齢が小さければ小さいほど最初はあまり関係がないと思っています。まずは嫌いにならずに楽しく続けていくことが大前提でないと。長く続けることで、自分で学んでいける部分があると思うので、まずは楽しくやってほしいなと思います。」

父の反対を押し切り15歳で単身渡米。17歳でプロデビューを果たす

「成長期の食生活や身体の変化で、何か感じたことはありますか?」

「私は中学卒業後、思春期の一番大事な時期にアメリカの高校に通い寮で生活していたので、食生活はひどかったと思います。週2回ピザ、パスタにミートソース、サラダとポテトとか、いわゆるファストフード的食事だったので、栄養価の高いものは本当にとれていなかったと思います。」

「寮ではバイキングスタイルでしたか?」

「そうです。寮といっても一軒家がいくつもある借家に住んでいて、食事の時だけ大きな食堂に行って全員でバイキングを食べるという形式でした。今ほどそんなに栄養のことは考えられてない食事だったと思います。半年に1度くらい母が日本から来て借家のキッチンで食事を作ってくれたり、私でも出来るようなレシピを送ってくれて、たまに自炊もしました。」

「海外では言葉の壁もあるし、練習も相当厳しくなりますよね。それでも渡米を決断した強い思いがあったのでしょうか。」

「小学校から大学付属の私学に通っていたのですが、中学生のときに阪神淡路大震災がありました。当時は神戸のテニスクラブを練習拠点にしていたのですが、震災によってアメリカ人コーチが帰国することになった際、純粋に彼にもっと教わりたいという想いで15歳での渡米を決断しました。そのコーチに教わってテニスが楽しくなり強くなれたから、彼の元でもっとテニスの経験を積みたいという強い思いがありました。父は娘を外に出したくないと大反対でしたが、母がやりたい事があるならそれに向けて頑張ればいいと後押しをしてくれ、アメリカ行きが許されました。両親を説得して行った以上弱音は吐けませんでしたが、行った当初は全て英語の環境で日本人は私一人しかおらず、現地の高校に通いながら何でもやらざるを得ない厳しい状況でした。勉強とテニスの両立だけで精一杯で、最初の1年は特にしんどくて大変でした。」

「その頃の夢はプロテニスプレーヤーでしたか?」

「その頃は漠然となれるといいな、という感じで、プロになって世界で活躍するということまでは考えていませんでした。最初はアメリカの大学進学を視野に入れていましたが、17歳のときにウィンブルドンジュニア(U-18:18歳以下)でベスト4まで勝ち進むと、自分の周囲で急に色々環境が大きく変わり始めました。大学進学か高校卒業後プロになるか悩んだ挙句、ミキハウスというスポンサーが声をかけてくださったこともあり、大学は自分が本当に勉強したくなればいつでも戻れるので、高校卒業と同時にプロデビューしました。テニスは世界を回る遠征費用が必要なので、プロになってもスポンサーがいないとやっていけません。」

試合前日の食事量と食事内容。ベストな選択は?

「アメリカにはどれくらいの期間住んでいたのですか?」

「高校3年間を含め、トータルで8~9年くらいアメリカで生活していました。」

「海外選手の食事スタイルや量などを真近で見られて、日本人との違いを感じましたか?」

「量を食べるんですよ。ピザとかもすごい大きいのを1枚ぐらい。特に男の子たちはすごい量を食べていましたね。選手だからって全然気にしてなかった。とにかく何でも油の量が多いので、私はピザの上の油を全部ナプキンで吸い取ってから食べていました。栄養のことなんて全く考えられてなかったメニューでした。振り返るとすごい食生活だったので、食事に関しては見習うべき点はなかったと思います。」

「森上さんはアメリカ在住時も特に体系の変化はなかったのですか?」

「そうですね。年齢相応のちょっとぽっちゃりした時期も当然ありましたが、肥満にはなりませんでした。当時の自分は栄養の知識が全くなかったので、とにかく唐揚げとかあるものを食べるしかなかった。でもあんまり良くないですよね?」

「アメリカ在住時にも体型を維持できたことはすごいことですね。
揚げ物のことですが、やはり摂りすぎは問題です。もちろん、脂質も大事な栄養素ですが、揚げ物に使う油だけでなく、魚の油なども摂ることが大事です。また、揚げ物でも油の量が多くなるてんぷらやフライよりも油を吸う量(吸油量)が抑えられる唐揚げや素揚げの方が良いかもしれません。」

「今は管理栄養士さんがついている選手もたくさんいますが、私の当時は、もちろん栄養価が高いもの、栄養のバランスのとれたものをと気をつけてはいましたが、今ほど重きをおいていませんでした。そこはもう少し自分でやっても良かったかなと、今更ながら思います。
テニスは毎日毎週試合があり、食べ物までも制限していると食生活がストレスになることもあります。試合の前は炭水化物を多めにとるようには心がけていましたが、そこまでとれていたかは…。
試合前にお肉は良くないと言われていましたがお肉が大好きで、それは今でも365日いつでも食べられます!牛肉が一番好きです。試合前日にお肉をいっぱい食べるのは、良くないのでしょうか?」

「試合前日の食事の第一のポイントは『エネルギー補給』です。試合時間の計算の出来にくいテニスの場合は特にエネルギー源になる炭水化物をしっかり摂っておくことです。とは言え、前日は練習量が少なくなっているなか、おかずも多いと摂取エネルギー量が多くなりすぎてしまいます。
ただ、運動時の有効なエネルギー源である炭水化物は、就寝中にも少なくなってしまうので、意識して炭水化物(主食)を中心に摂ることが大事です。」

「炭水化物も色々ありますが、どれが日本人にとってベストですか。」

「ごはんはお米と水だけで炊けます(パンの場合は小麦粉に油脂などが含まれます)。また、どんなおかずでもご飯には合いますが、パンだと脂質の多いおかずの方が多くなったりします。そんな意味でも、“お米”がおススメです。」

選手&チームのご紹介

森上亜希子(もりがみ・あきこ)さん

生年月日:1980年1月12日生まれ
出身:大阪市
身長:167センチ
利き手:右
バックハンド:両手打ち
キャリア自己最高ランキング シングルス41位

7歳からテニスを始め、13歳でIBM全日本選手権出場。14歳で世界ランキング4位(14歳以下)に。16歳でパーマープレファトリースクール(フロリダ)にテニス留学。17歳の時ウインブルドンジュニアでベスト4入りを果たす。
1998年、プロへ転向。2002年フェドカップ日本代表に選出され単複とも全勝。2003年全豪オープングランドスラム初出場初勝利。2004年からはコンスタントにグランドスラム本戦に出場し、アテネオリンピックでも日本代表に選出される。
2007年WTAツアープラハオープン初優勝(日本人選手8人目)、同年ウィンブルドン3回戦進出。2009年11月12日全日本選手権にて女子シングルス準々決勝を最期に第一線から引退。引退後はテニスの普及に関する仕事やプロテニスプレーヤーとしての経験を活かしたテニス解説を行う。また、明るい性格でスポーツ、バラエティー、コメンテーターなど幅広いジャンルで活躍中。