スポーツ食育インタビュー
日本卓球協会 ストレングス&コンディショニングコーチ
田中 礼人 さん
野菜に興味がなかった子ども時代。あげ物が好きで、太っていました。
「子どものころの食生活について教えてください。」
「実は……小さい時は本当に野菜が苦手で、米と肉ばかり食べてました。特に丼(どんぶり)物を好んで食べてました。」
「なぜ野菜が苦手だったのですか?」
「好ききらいというより……食べるように色々出されるので少しはつまむけれど、大好きな白いご飯と肉ばかり食べていたんです。」
「苦手というよりは、野菜自体に興味がなかったということでしょうか?」
「はい、そうです。それよりも肉を食べたいっていう欲求(よっきゅう)が強くて。」
「給食のときに、困りませんでしたか?」
「給食の時は、ちゃんと全部食べてました。」
「食べられるんですね(笑)。」
「はい。食べられるんですが、好んでは食べない。」
「よくある、子どもの食習慣っていう感じでしょうね。」
「そうですね。からあげがあれば、他にサラダがあってもからあげしか食べず、とにかく好きなものばかり(笑)。小学校4年生ぐらいまでは結構な肥満児(ひまんじ)、太ってました。今考えると、天丼とかかつ丼とか、あげ物好きでした。」
身長が伸びて体型が変わり、積極的に動けるように。
「スポーツは、小学1年生から野球をされていたのですよね。」
「そうです。親はサッカーをやらせたかったようですが、仲がいい幼なじみとそのお兄さんが野球をしていて、練習について行った次の日から入部したらしいです。ただ小学生の時は太っていたので、動くのも走るのもきらいで、何度かやめたいと思った事もありました。」
「ポジションは?」
「小学校4年生からずっとキャッチャーでした。ずる休みはしなかったけれど、とにかく走るのがイヤで……。歩道橋を走って登り降りをする練習の時は、登り終えるとコーチから姿が見えなくなるので、向こう側でちょっとふせていて、誰かが登って来る寸前にまぎれて走ったりする、悪知恵を働かせてはサボっていました(笑)。」
「それでもレギュラーだったのは、運動神経が良かったのでしょうね。」
「小学5年くらいから身長が急に伸び始めて体型が劇的に変わり、だんだん動けるようになってきて、そうしたら運動が楽しくなってきたんです。」
「体格が動きに大きく影響したという実感があるんですね。それは、指導の際にすごく説得力がある話になりますね。身長が伸び、身長と体重のバランスが整ってきたら、動くのも走るのもきらいじゃなくなったと。」
「はい、バスケットボールやサッカーも結構積極的にやって、サボっていた時とは比べ物にならないぐらい短距離(きょり)も長距離も早くなっていき、中学の時は駅伝の選手にもなりました。」
「すごいですね。自分で足が速いと自覚されたのはそのころからですか?」
「自覚したのは小学5、6年生で動けるようになってから。母も食事にだいぶ気をつけてくれていました。印象深い記憶が、小学4年生の終わりごろ、高熱で食欲がなかった時、野菜がたくさん入ったうどんか何か出されたんです。『うわ~!』と思いながら野菜を食べたところ、とてもおいしく感じたんですね。そこから、野菜を摂(と)るようになりました。母も色々考え油物を減らしたりしてくれていたので、そういった事も手助けになり、体型が変わったんだと思います。」
高校卒業後、トレーナーの道へ。好きなスポーツに関わる仕事がしたい。
「高校まで野球をされていましたが、食事がスポーツ時のパフォーマンスに影響すると実感した事などありましたか?」
「栄養管理のもと体重が増えてくると、打球が飛んで飛距離が変わる感覚がありましたね。」
「なぜ、トレーナーになろうと思ったのでしょうか?」
「高校卒業を前にした時、自分は社会人やプロで野球を続けていくのは無理だと気づいたんです。野球で大学に行く話もありましたが、大学4年間を野球だけに費やすより、その間につちかったものを就職にいかしたいと思い、今のストレングス&コンディショニングコーチの道を目指し始めました。40~50年働くんだから、どうせやるなら好きなスポーツに関することをやりたいと思って。」
「トレーナーになるまでの道のりやご苦労をお聞かせください。」
「専門学校でスポーツトレーナーの勉強をしていたころ、インターンとして東京ガスのラグビー部さんに週2~3回ほど行かせてもらっていたんですね。そこではトレーナーと選手の信頼しあったやり取りがあり、すごく憧(あこが)れました。僕はまだ水を運んだり準備することくらいしかやっていなかったのに、選手たちはいつも『ありがとう』と言ってくれるし、試合で勝った時は握手しに来てくれる。そういうチームスポーツや、スポーツに関わるっていいなぁと思い、それから本気でもっと学ぶため、大学に編入しました。
東京ガスラグビー部さんへインターンをするときは三次試験ぐらいまであり、小論文を書いて最後は面接でした。」
「トレーナーの魅力(みりょく)は、選手のサポートだけじゃなく、選手たちと一体になれるということなんですね。とてもやりがいのある、素敵なお仕事だと思います。」
「本当にそう思います! 栄養士から見ても、トレーナーのいつでも選手とコミュニケーションが取れる“近さ”がすごくうらやましいと思っています。田中さんと選手が、さらに信頼関係を深められるととても良い環境ですね。」
前例のない「相撲」のトレーニングを、手探りで考えた。
「トレーナーになるまでに、身体の機能や栄養のことも、勉強されましたか?」
「広範囲(こうはんい)に学びました。大学の時は、解剖(かいぼう)学、生理学、バイオメカニクスのほか、もちろん栄養やメンタルもさわり程度ですが広く勉強しました。教職も一応取っておきました。」
「プロのトレーナーになった最初のスポーツは何ですか?」
「最初は、相撲(すもう)のトレーナーです。」
「貴乃花部屋ですよね。」
「特にお相撲さんの身体のトレーニングは難しそうですね。お相撲さんにトレーナーを付ける例は、あまりないのでは?」
「この間優勝された琴奨菊関は、お相撲さんとトレーニングの関係が結構注目されましたが、お相撲さんのトレーナーという点では、田中さんが先駆者(せんくしゃ)じゃないですか? それに目を付けられた貴乃花親方もすごいと思います。」
「いい経験をさせてもらいました。」
「前例もデータもないところから、手探りでトレーニングメニューを考えたのですか?」
「そうですね。アメリカンフットボールの文献(ぶんけん)を見たり、色々調べてやっていったんですが、相撲取りは相当体重があるので、メニューも特別でした。最初は自分の体重でスクワットをやるだけでも結構大変で、そこから始めて、徐々に重りを持てるようにして。筋力レベルの高い力士が、どんどん上に上がっていきました。」
「見かけはポッチャリに見えるお相撲さんの身体は、実は“筋肉のかたまり”だと聞きますが。」
「トップレベルの方たちはそうだと思います。ただ、下の階級の子たちは、本当のポッチャリです(笑)。」
「最初は体重を増やし、その後に筋力強化ですか?」
「相撲の世界はそうですね。でも相撲を始めるときから、体重を増やすことと筋力を付けることは、同時にやっていくほうが絶対にいいと思います。」
トップ選手を、さまざまな役割を果たす複数のコーチがサポートします。
「現在は卓球男子日本代表をご担当されていますが、体力的にハードな競技でしょうか?」
「そうですね。男子の場合は動く幅(はば)も広がりますし、横だけじゃなく前後にも結構動くので、運動量はとても多いと思います。」
「試合時間が読めないところも大変ですよね。」
「5ゲームの時と7ゲームの時があり、5ゲームの時は大体30分、7ゲームの時は45分~1時間くらいで、1日多いと6試合、少なくても2試合ぐらいはあります。」
「6試合! すごいですね。走る競技ではありませんが、下半身の筋力強化も必要ですよね。」
「はい、下半身が出来てないと地面も蹴(け)れないし、良い姿勢が作れません。スクワットで下半身の筋力を鍛(きた)えたり、腿(もも)の裏やおしり、腰背部(ようはいぶ)の筋肉もとても大事です。あとは肩周りの可動域(かどういき)や柔軟性(じゅうなんせい)も大事だし、もちろん体幹も。本当に全身考えながらやっています。」
「運動量の問題よりも、体作りそのものが大事になってくるんですね。」
「卓球は持久力が必要なスポーツだと思われがちですが、1回2~3球で終わる瞬発力のスポーツなので、動くといっても1~2回動いたらもう終わり。パワー系、瞬発(しゅんぱつ)系のスポーツで、しかも試合が重なるので、回復力も必要になってきます。」
「どこが一番疲れるんですか? 試合後すぐに疲労回復のトレーニングをするのでしょうか?」
「やっぱり足ですね、あと肩周りも。試合後のクールダウンのための有酸素運動とストレッチをやって、必要であればアイシングをするとか。会場によってはアイスバスもあり、そこに入る場合の指導などもします。」
「今までの卓球界では、田中さんのようなトレーニング方法を取り入れていなかったのですか?」
「元々拠点(きょてん)がなかったんです。2008年に『ナショナルトレーニングセンター』が出来て、そこで合宿をするようになりました。当時トレーナーはいましたが、非常勤(ひじょうきん)だったため、専任として声をかけていただいたんです。」
「体をケアする鍼灸(しんきゅう)の資格を持っているようなトレーナーと、フィジカルコーチ、フィジカルトレーナーやストレングスコーチでは、立場が違ってきますよね。
選手がケガをしたときにドクターと選手の間に入るトレーナーや、技術や競技の指導をするフィジカルコーチとは異なり、体作りの基になる身体のコンディション作りをするのがストレングスコーチですよね。」
「そうですね。たとえばケガをしたらドクターがみて、ケガの状態から一般的な回復をするまでは理学療法士がみます。さらに一般のレベルから競技レベルの復帰までをアスレチックトレーナーがみて、競技復帰してから傷害の予防やパフォーマンスの向上をするのが、ストレングスコーチという僕たちの役割になります。」
「トップアスリートになると、段階ごとに役割の違うトレーナーが何人も関わってケアされていくんですね。一般的には知られざる世界です。」
取材日:2016年3月30日
選手&チームのご紹介
田中礼人(たなかあやと)
埼玉県生まれ。小学1年から野球を始め、埼玉栄高2年春にセンバツで甲子園出場。高校在学中にスポーツトレーナーの道をめざす。専門学校を経て、仙台大学に進学、トレーニングの知識や技術を学ぶ。大学卒業後、森永製菓株式会社(ウイダートレーニングラボ)に入社。2010年4月より卓球男子日本代表の専属フィジカルコーチ(ストレングス&コンディショニングコーチ) を務める。12年3月森永製菓退職、独立。現在、日本卓球協会と個人契約を結んでいる。ストレングス&コンディショニングスペシャリスト (CSCS)、パーソナルトレーナー(NSCA-CPT)、NSCAジャパン認定検定員、南関東アシスタント地域ディレクターの資格をもつ。