スポーツ食育インタビュー
川崎フロンターレ
小林 悠 選手
幼稚園のころから、サッカー漬けの毎日!
「サッカーを始めたのは、いつからですか?」
「1つ年上の兄が小学校に入学する時にクラブチームに入り、僕は幼稚園の年長でしたが入れてもらって、そこからサッカーを始めました。でもその前から幼稚園に行けばボールを蹴っていて、遊びはずっとサッカー。幼いころからサッカー漬けの毎日でした。」
「そのころ、食べ物の好き嫌いはありましたか?」
「小さいころはセロリが食べられなかったです。しいたけもちょっと苦手。食べられないのはそれぐらいですね。基本的に野菜はすごく好き、というわけではなかったけれど、出されたものは食べてました。今、嫌いなものは何もないです。」
「嫌いなものは、どのように克服(こくふく)されたのですか?」
「今もあまり好んでは食べないですけど、大人になって食べたら体に良さそうだし、体に良いものっていう知識が増えてくると、美味しく感じられるようになりました。」
「好きな食べ物は何でしたか?」
「さつまいもが好きでした。今でも焼きいもとか大好きです。あとは納豆ごはんとか。」
「お腹もちが良さそうなものばかりですね。子どものころの朝食メニューを教えてください。」
「小さいころはパンが好きで、毎日朝はパンとオレンジジュース、フルーツとヨーグルトとか。朝はそんなに食べれなかったかな。でも今はごはんです、絶対に。パンだと練習中にお腹空いてくることがあるから、なるべくごはんにしています。」
給食大好き! 食べても太らない体質でした
「学校給食はしっかり食べていましたか?」
「給食が大好きすぎて、給食委員をやっていました(笑)。おかわりタイムが決まってて、席順が後ろの方だとすぐに配膳(はいぜん)場所に並べるので、すぐおかわりできるように、席替えの時はいつも後ろの方をねらっていました。(笑)。でもよく食べていた割にガリガリだったんです。兄は結構太りやすい体質でだったんですが、僕は全然太らなくて。」
「おやつはどんなものを食べていましたか?」
「小さいころから中学生くらいまで、毎日よく菓子類を食べてました。今思えば、そこをもうちょっとしっかり考えれば良かったな、と思います。食べ過ぎて、ごはんが食べられなくなった事もありましたね。そのころは知識がなくて、体のことを考えずに食べてました。」
「子どものころの食卓での思い出はありますか?」
「小さいころは、とにかく米をたくさん食べていました。母は、普通のおかずに、ごはんをたくさん食べればいいでしょ、みたいな感じだったので。そんなに意識していたわけではない感じの、ごく普通のおかずとごはんでした。」
「良い事だと思います! 今は逆で、主食を食べずにおかずを食べていればごはんを残してもいい、というご家庭が多くなってきているんです。お米を沢山食べたのは、すごく良い事だと思います。」
「それで良かったんですね! 助かってたんだ。ごはんはすごく食べました。母は仕事もあり大変だったと思うけど、料理もしっかり作ってくれて、魚や肉のおかずもまんべんなく出してくれていました。」
「メインのおかずじゃなく、たとえばお漬物とか納豆とか、ごはんがすすむサブ的なおかずはありましたか?
「そういうものは、絶対にありました。いつも冷蔵庫に、何かしら入ってました。」
「それってすごく大事だと思いますよ。」
「最近は少食の子が多いようで、合宿などで量が食べられず、食べるのがトレーニングになるところもありますよね。」
「確かに。昔は無理矢理食べさせられましたからね。残したら大変なんですよ。大盛カレーとか、苦しみながら食べてましたね。食べないと帰れないですから(笑)。」
「中学ではお弁当でしたか?」
「はい、毎日母が作ってくれました。普通のお弁当で、前日の残り物が入ってたりと、よくあるパターンです。」
キツい中学時代を乗り越えたから、サッカーが楽しくなった
「成長期はいつぐらいでしたか?」
「すごく遅(おそ)かったですね。小学校時代は普通でしたが、中学校からみんなが伸びていくのに僕は伸びず、ずっと前から2番目とか。サッカーでも苦労しました。身長をすごく気にしていて、毎日牛乳飲んだり、魚や煮干とかいっぱい食べたりしましたけど、全然伸びなくて。高校入学の時は160cmぐらいしかなかったのですが、それからぐんぐん伸び、高校卒業時には175、6cmになっていました。」
「子ども達や保護者の方からも、どうしたら大きくなるかとよく聞かれるので、すごくはげみになるお話、安心材料になりますね。やっぱり成長する時期ってあるんですよね。」
「そうですね。本当にガリガリで小さく、足も全然速くなかった。周りのみんなは筋肉がしっかりついて強くなっていくのに、自分だけ取り残される感じでした。小学生で選抜(せんばつ)になり結構チヤホヤされていたのに、中学では何も入らなくなって、キツかったです。
サッカーは対人プレイが多いので、当たって飛ばされてばかりで本当に悔しかった。でもその分技術を磨こうと思い、中学の3年間は特に技術面中心の、地味な練習などもしていました。」
「子どものころから、夢はサッカー選手だったのですか?」
「僕の小さいころにJリーグが始まって、サッカーブームでした。周りもみんなサッカーしていたし、大人気。僕は小学校の時に選抜に入り、上の学年の試合にも毎回呼ばれていたので、他よりも少し上手かったと思います。サッカーを始めた小さいころからずっと、プロサッカー選手になると思っていました。」
「やめたくなったり、サッカーが嫌いになったりしたことはありましたか?」
「中学のころは、やめたいまではいかないですが、辛いなと思っていましたね。練習がキツくて、嫌いになるギリギリでした(笑)。でもサッカーが大好きだったので、やめたいとは思わなかった。そこを乗り越えたから高校や大学が楽しかったんで、結果的に良かったと思います。」
「長い目で見れば、すべて順調に行くより、そういう時期があったほうが良かったのではないでしょうか。」
「絶対にそうです。ずっと順調にいってる選手は、大体いなくなってしまいます。やっぱり辛いことがあって挫折(ざせつ)して、自分に足りないものは何だろうって考える力をつけてきたからこそ、今の自分があるんだと思います。
僕はとても負けず嫌いで、兄にテレビゲームで負けただけで泣いてるような子どもだった。勝つまでやってたし、兄が面倒くさくなってわざと負けてくれるぐらいでした(笑)。負けてばっかりだと嫌だったから、どうしたらいいか、結構考えたと思います。
今プロになっても、遊びのミニゲームでも絶対に負けたくないです。」
妻が専属栄養士。食の知識はあったほうがいい
「食事が大事だと思うようになったのは、いつごろからですか?」
「高校のサッカー部に栄養士さんが来て話を聞く機会があり、そのときに衝撃を受けたんです。たとえばスポーツドリンクにどれだけ砂糖が入ってるか、カップラーメンの油や塩分。そういう話を聞くと、自分がこんなに摂ってたんだって、驚きました。だから大学の時、周(まわ)りがカップラーメンとかを食べていても、僕は絶対サラダで小腹を満たすようにしてましたね。
今はプロになって、もっと厳しい制限もしてます。やっぱり、食の知識っていうのはあるに越したことはないと思うので、ぜひ色々な授業などで、どんどんやってほしいと思います。」
「Jリーガーになってからは、食生活が大きく変わったんですね。」
「そうですね。妻が管理栄養士なので、基本は任せています。たとえば体重をちょっと減らしたいとか、筋力をちょっと上げたいって相談して、少したんぱく質を摂るようにしたり、自分の状態に合わせて色々メニューを考えてくれています。」
「専属栄養士さんとは、良い環境ですね! 今、食事で気になる事はありますか?」
「自分はグルテンアレルギーではないですが、最近、男子プロテニスプレイヤーのジョコビッチ選手が書いたグルテン・ダイエットの本を読んだところ、グルテンを摂らなくなってから体のキレとかが出た、など書いてありました。彼はグルテンアレルギーのようですが、そうでない人にも効果があるみたい。僕も色々興味があるので、ちょっと試してみようかと思ってます。」
「小さい時は朝はパンだったけど、最近ごはんに変えたのは、それと関係がありますか?」
「それも関係あります。練習の時はお腹が空くのでごはんで、オフの日はパンにしていましたが、最近はパンを摂っていません。妻にその話をしたら、クロワッサンや甘いパンはどうしてもバターや砂糖が多くて体脂肪が増えちゃうから、アレルギーに関わらずパンは食べなくてもいいかもしれないと言われて。体が重くなるなら摂らないでいいかな、と。」
「確かにクロワッサンには、最初からバターがかなり入っています。種類にもよりますが、クロワッサンは重さの1/4以上が脂質です。」
「そうですね。でも、……美味しいですよね(笑)。」
「確かに・・・(笑) さらにパン食では合わせるおかずもどうしても油を使っているものが多くなります。それを考えても小林選手の選択は賢い選択だと思います。」
取材日:2015年11月11日
選手&チームのご紹介
小林 悠
神奈川県川崎市をホームタウンにするプロサッカークラブ。1999年からJリーグに参加し、2000年にJ1昇格。2001年から2004年にJ2降格するも、2005年にはJ1復帰。「フロンターレ」は、イタリア語で「正面」の意味で、常に正面から正々堂々と戦う姿勢を表現している。2016年のチームスローガンは「CHALLENGE THE FUTURE」。