スポーツ食育インタビュー
Jリーグ FC岐阜
川口 能活 選手
野菜が苦手だった小学生時代。母の工夫で好ききらいを克服!
「幼少期に好き嫌いはありましたか?」
「野菜があまり好きではありませんでした。カレーは好きだったんですが、入っているジャガイモとか玉ねぎをよけて食べるような子どもでした。
でも、小学校1年生くらいの時に頑張って食べてみたら、カレーの味が染みていて美味しかった。その辺りから、野菜が食べられるようになりましたね。最初のうちは好んで食べるというより、母親から『身体に良いから野菜を食べなさい』と言われていたので、義務(ぎむ)的に食べている感じでした。でも、食べているうちに野菜が好きになったし、レタス、キュウリ、トマトなど野菜がつねに食卓にないと違和感(いわかん)があるようになりました。」
「小学生の頃は親に言われても、野菜を食べる事は難しいかと思います。そのころから栄養を意識的にとろうという気持ちがあったのですか?」
「当時はまったくありませんでした。自分がおいしいと思う物を食べていただけですね。僕は静岡の生まれで海が近く、小さい頃からシラスなど魚をよく食べていました。お肉にしても煮たり焼いたりが中心で、あぶらっこいお肉を食べた記憶はありません。」
「周囲の環境に恵まれていたのですね。」
「今思うと、母は食に関して意識してくれていたのかなと思いますね。そういえば、あまりかたよった物は食べてなかったなと。最初はどうしても野菜が食べられなかったんですけど、色々工夫して、調理してくれたおかげで少しずつ食べられるようになったのはありがたいなと思います」
「大人になったり、自身が親になったりしてみると、子どもの頃に親がしてくれていたことを思い出したり、感謝したりするものです。そのようにして“大事な食習慣や食文化”が継承(けいしょう)されていくのですね。」
編集部「お母さんのメニューで印象に残っているメニューはありますか?」
「さっき話したカレーもそうですし、お味噌汁の中に入っている大根など、味が染み込んでいるものですかね。煮物でもニンジンやタケノコ、しいたけが食べられるようになりました。」
「野菜の好ききらい克服のヒントに“しっかり味付けする方法”もありますね!」
急激に成長した中学時代。電車通学と練習でハードな毎日!
「栄養をしっかりとっていて、良かったと思うことはありますか?」
川口選手「中学生の時に急激(きゅうげき)に身長が伸びた時ですね。そして、何より小さいころから大きな病気やケガをあまりした事がなかった。プレーヤーとして今もできているのは幼少期の食育が良かったのかなと思うので、両親には感謝しています。」
「食べ盛りの中学生時代はどんな食生活を送っていましたか?」
「中学の時に僕は、地元である静岡県富士市から静岡市にある東海大一中(現・東海大翔洋中)に通うようになりました。距離があったので電車通学をしており、朝が早かったんですが、その時もごはん、おみそ汁、魚、野菜と一通り食べてから学校に行っていました。お昼のお弁当だけでなく、帰りが夜の8時、9時と遅くても、母が毎日必ず晩ごはんを作ってくれていました。中学まではしっかり食事をとっていましたね。まだ、子どもなのでその間におやつも食べたりしていましたけど(笑)。何もしていなければ太ってしまう食事量だったと思うのですが、サッカーの練習がすごくハードだったので、全部消費していたのかなと思います。」
「中学時代はそれほどハードだったのですか」
「練習もハードでしたが、電車通学も片道1時半くらいかかっていたので辛かったですね。時々、家に帰ってくるなり、そのままパタンとねてしまう事もあるほど、ハードでした。そんな時でもしっかり食事を作ってくれていた母親には感謝していますね。」
「食事は和食派ですか?」
「和食ですね。ずっとご飯派だったので、朝にパンを食べたことはなかったです。時々、パンを食べている父を見て、食べたいなと思うことはありましたが、基本的にはごはんにおみそ汁、魚にサラダというメニューでした。お弁当もごはんに野菜、ソーセージとバランスを考えたメニューを作ってもらっていました。中学の時は本当に親に大変な思いをさせてしまったなと思いますね。」
「ここ1~2年は、ユネスコでも“和食”が認められて、世界でも注目の的になってきています。スポーツ栄養学の“目”でみても、“脂質(ししつ)を抑(おさ)えやすい和食”はおすすめです。」
高校時代は下宿生活。ハードな練習で食事量がダウン。
「中学から高校に上がると練習がよりハードになりますが、川口選手はどうでしたか?」
「清水商業高校に入ってからは下宿になりました。中学と高校での変化は早朝練習ですね。中学までは朝食しっかり食べられていたのですが、朝7時からの練習になって、あまり食べられなくなりました。あんまり食べ過ぎてしまうと、全部吐(は)いてしまうので、食べないで練習して、朝練が終わってからおにぎりやパンを食べていました。お昼はお弁当、夜は下宿先でのごはんだったのですが、練習がハード過ぎたのもあって、あまり満足な食事とは言えなかったですね。」
「栄養がもっととれていれば……と今になって、思うことはありますか?」
「高校時代の栄養に関しては満足できるものではなかったけど、サッカーがしっかりできていたので充実していましたね。当時は食事に関しての知識や意識もなく、気になり出したのはプロに入ってから。今のJリーグの育成にいる子たちは本当に恵まれているなと思いますね。競争はきびしくなったけど、栄養に関してのアドバイスをもらえるのは素晴らしい環境だと思います。」
「中学の時に急激に身長が伸びたと言われましたが、伸び率で言うと、高校の時は少なかったのですか?」
「中学では上に伸びたんですけど、横には伸びませんでした。高校では入学前の177cmから、卒業時は180cmと身長はあまり変わりませんでしたが、ハードな練習の甲斐もあって横に伸びましたね。栄養をとることが身長の伸びにつながるのか分かりませんが、今になってはもう少し栄養をしっかりとっていればとは思いますね。」
「身長を伸ばしたいというジュニア選手は確かに多いですね。ただ身長に最も影響(えいきょう)を与えるのは“遺伝(いでん)”なのですが、食事や睡眠時間でも大きく関わると言われています。」
「プロに入ってからは、身体もしっかりしていないとダメだと思い、周囲からアドバイスをもらったり、自分で勉強して、高校3年間の分も取り返そうと食事に関して徹底(てってい)するようになりました。周りから見ればストイックに思われるかもしれませんが、食事制限をするのは自分の中では当たり前の事になっていますね。」
母の“野菜の煮物”が思い出の味。
「高校時代での食に関する思い出はありますか?」
「サッカーをやりたい思いが強くて、食事をとる時間もなかったのですが、時々、親からの仕送りで外食をしたりしていました。近くに安い中華料理屋があったのでラーメンを食べたり、定食屋に行った事をおぼえています。」
「ちなみに、ご家族もスポーツをされていましたか?」
「両親は父が中学生の時に水泳をやっていたくらいでしたが、兄が僕より前にサッカーをやっていて、中学、高校は柔道をやっていました。母は何もやっていませんでしたね。」
「それでも、アスリート向けの食事を作ってくださっていたお母さまは素晴らしいですね。」
「当時、プロリーグも無かったので、自分の息子をサッカー選手にするためというより、しっかりした物を食べさせたいという思いが両親にはあったのかもしれませんね。」
「先ほど、お母様手作りの“野菜の煮物”のお話が出ていましたが、よく小学生に『知っている野菜料理をあげて』とたずねても野菜サラダや野菜炒めで終わって、煮物やおひたしの名前ってあがらないんです。それが、川口選手からはサラダではなく煮物の名前が真っ先にあがったので、すごいなと思いました。」
「サラダを食べた記憶よりも、野菜を工夫した料理が多かったですね。今になって思うと、一手間も二手間もかけてくれた味ですよね。」
「作られたお母様もご立派ですし、それがすぐ記憶から出てくる川口選手もすごいですね。」
「あとは漁港の街・静岡だったので、シラスも干した物ではなく、釜揚(かまあ)げシラスを食べていたんですよ。釜揚げシラスが普通だったので、僕が静岡から出た時に一般的に売られてないのにはビックリしました。県外でシラスといえばシラス干しだったんですが、シラスは干した物ではなく、釜揚げが普通で、シラス干しはシラスではないと思っていました(笑)。」
写真提供:FC岐阜
取材日:2014年3月26日
選手&チームのご紹介
川口能活
9歳からサッカーを始め、小学校4年生の頃から本格的にG Kとしてプレー。清水商業高校3年時には全国高校サッカー選手権で日本一になるなど輝かしい学生生活を送る。横浜マリノス入団後も2年目からスタメンの座を掴み、新人王を受賞し、五輪代表、フル代表も経験した。イングランドとデンマークでのプレー経験も持つ。【FC岐阜】
2001年4月に設立。
チーム発足後、2002年に運営母体となるスティックルバック・スポーツクラブ(SSC/大垣市)が結成され、全国でも珍しい総合地域型スポーツクラブを目指して、特定非営利法人(NPO)として活動を始めた。
その後、株式会社岐阜フットボールクラブが設立され、2007年に日本フットボールリーグ(JFL)に昇格すると、3位以内に入り、Jリーグへの昇格を決めた。 2008年より、念願のJリーグディビジョン2での戦いが始まり、Jリーグディヴィジョン1への昇格に向けて、新たな挑戦が始まった。
公式サイト:http://www.fc-gifu.com/