特別企画
ヘルシーエイジング(健康長寿)のためには、健康的な食事や生活習慣だけでなく、メンタルヘルスを維持することも大切です。そこで、自分自身のメンタルヘルスのコントロール方法や、メンタルヘルスを維持するために必要な周囲のサポートのあり方などについて、専修大学 スポーツ研究所 教授の佐藤雅幸先生に、ご専門の“スポーツ心理学”の見地からお話を伺いました。
大きなプレッシャーと戦うトップアスリートの“心の整え方”は、ストレス社会とよばれる現代に生きる私たちにとっても参考になるのではないでしょうか。
ある事柄についてストレスを感じた時、「自分のメンタルが弱いからストレスに感じるのだ」と考えて、結果的に無理をしてしまう方も多いのではないかと思います。自分の心の状況を客観的に把握するにはどうしたらよいのでしょうか?
トップアスリートは、毎日最大限を尽くしてトレーニングに励んでいます。しかし、常に100%の力を出し続けていたらどうなるでしょうか? 最初のうちはそれが結果につながるかもしれませんが、次第に心身が疲労し、パフォーマンスが下がっていくでしょう。心が好調で体が不調の場合でも、体が好調で心が不調の場合でも、パフォーマンスは下がってしまいます。
全力を出し続けたために疲弊してしまうということは、日常生活でもあり得ることですね。
最もよい方法は、体が不調の時は心も無理をしないようブレーキをかけ、体と心が同じ波に乗るように調子を合わせていくことです。そのためには、自分の心身の状態をモニタリングすることが大事です。
おいしいラーメン屋さんは、おいしい味を毎日提供できるよう、その日の天候や気温などによって調味料の量を微調整したりしているといいます。人間も同じで、自身の体や心の調子を理解していれば、そういった微調整によって心身のコンディションを安定することができます。スポーツ界でも、トップアスリートになるほど自分の心身のコントロール方法を知っているので、不調の時でもある程度のパフォーマンスが出せるのです。
「自分の心身の状態が普段と比べてどうか」に気を配っておく必要があるんですね。
自分の心の状態を客観的に把握する方法の1つに、「POMS2(Profile of Mood States 2nd Edition : 気分プロフィール検査)」というものがあります。65項目の質問に答えることで「緊張」「抑うつ」「怒り」「活気」「疲労」「混乱」「友好」の7因子を同時に測定することのできるメンタルテストです。
心身の状態がすぐわかる『POMS』検査に迫る|「こころ」のための専門メディア 金子書房より
どの因子が低下しているかについて客観的な判断をできれば、その時の自分の状況に合った対処をしやすくなるというわけです。スポーツ界でも、オーバートレーニング(練習のしすぎ)で選手のコンディションが悪くなるのを防ぐためにPOMS2を用いて選手のメンタルをチェックすることがあるんですよ。
65項目すべての質問項目に答えなくても、例えば「今の自分の怒りの感情は10点満点で4点」というように、7つの因子について直感で点数をつけてみるだけでも、心の状態の簡易チェックを行うことができます。
自身の不調に早く気づくことで、それに応じたケアができそうですね。状況に応じた“セルフコントロール”が重要だということがよく分かりました。
しかし、中にはそのセルフコントロールができない(=無理をせざるを得ない)環境にいる方も多いと思います。そのような状況下でも心の平穏を保つために、役立つことはありますか?
専門的な言葉で“認知バイアス”と言うのですが、思い込みや先入観などによって合理的な思考が妨げられることがあります。目の前にある情報が取り入れるべき正しい情報なのかを判断することは、とても重要だと思います。そして、その判断のためには、客観的で中立な立場のアドバイザーが必要な場合があります。自分が問題を抱えた時に相談できる相手がいるとよいですね。
相談できる相手がいないわけではないけれど、内容的にあまり話したくない…という場合はどうしたらよいでしょうか。
そのような時には、“独り言”でも大丈夫です。実際、心理療法を取り入れたメンタルトレーニングには「エンプティ・チェア(空椅子)療法」という、1人で行うものもあるんですよ。
イスを使ったメンタルトレーニングですか…?
はい。最初に3つのイスを用意し、そのうちの1つに座って思い悩んでいることを話します。次に、先ほどとは違うイスに座って、その悩みを客観的に聴きます。3つ目のイスは、中立的な立場にいる自分で、2人の対話をさらに客観的に見るのです。
なるほど。「悩みを打ち明ける」「悩みを聴く」「対話の様子を俯瞰する」を自分だけで行うわけですね。
自分だけで悩んでいると見えないものが、客観的な立場からだと見えてくることがあります。煮詰まった思考を自分自身が客観的な立場から見てアドバイスをすることで、案外解決策が出てきたりするものなのです。同じように、鏡の中の自分と対話をするというのも、よく使われる手法です。
ナラティヴ・セラピー(narrative therapy)という心理療法があります。“ナラティブ”は“語り”という意味です。悩んでいる人の語りを傾聴することによって、問題をその人自身が客観視できるようにする(外在化する)というものです。心の平穏を保つ上で、語ることは大きな武器になります。自画自賛してみるというのも、よいかもしれませんね。
次回のテーマは、職場におけるメンタルヘルス・マネジメントです。
職場のストレスとの向き合い方、ストレス状況下で心身の健康を守るための“コンディショニング”などについて、スポーツ心理学の観点からお話しを伺います。乞うご期待!
監修
専修大学 スポーツ研究所 教授
佐藤 雅幸 (さとう まさゆき)先生
専修大学 教授(スポーツ心理学)
専修大学スポーツ研究所所長を経て現在は顧問。
82年日本体育大学大学院体育学科研究科修士課程修了。
同大学女子テニス部を創部し監督を務め、92年は全日本大学王座優勝を果たした。現在は同女子テニス部統括。94年には、長期在外研究員としてカロリンスカ研究所・ストックホルム体育大学に留学。現在、松岡修造氏が主宰する「修造チャレンジ」におけるメンタルサポートの責任者として活躍中。『起きあがりことば』(朝日出版)、『人はなぜ、負けパターンにはまるのか』(ダイヤモンド社)など著書多数。