スポーツ食育インタビュー
青山学院大学 体育会陸上競技部長距離ブロック監督・地球社会共生学部教授
原 晋 さん
海辺の街で、高級海産物を食べて育った子ども時代。苦手なものは納豆!
「原監督は、どのようなお子さんでしたか。」
「僕はやんちゃ坊主だったなぁ。当時の遊びというものが外で駆け回ることしかなく、ソフトボールや相撲、缶蹴りとか外遊びがばかりしていました。実家のすぐ裏が海ですぐ飛び込める環境でしたが、水泳はあまり好きじゃなく魚釣りをする程度。小学4~6年頃には6~8人のグループを作って、下水管の中に入ってたわむれワイワイ騒いでいるようなガキ大将でした。今はテレビに出ることもありますが、当時は目立ちたい気持ちはあるけれど人前で歌を歌ったり演劇で主役をはったり、といったことは苦手でした。」
「子どもの頃の食生活について教えてください。」
「朝からパンとご飯を両方ガツガツ食べ、やせの大食いとよく言われるくらい食べていました。男3人兄弟というのもあって、おかずは大皿でドンと出てきましたね。大体は目玉焼きとか魚とかおみそ汁で、出されたものをきちんと食べていました。
実家の裏に水産加工場があったし近所のおじさんが魚をたくさん持ってきてくれて、タイ、ひらめ、しゃこなど、今振り返ってみると美味しい高級食材ばっかり食べていました。でも僕は、肉の方が好きだったけどね(笑)。」
「美味しい魚が食べられるというとても良い環境で育たれたのですね。魚の栄養学的な魅力は何と言ってもDHAやEPA(IPA)などの不飽和脂肪酸(必須脂肪酸)です。これらは、情報伝達をスムーズにして、記憶力の低下を防いだり、生活習慣病予防に働きます。その他カルシウムの吸収促進や免疫力を高める効果も言われているビタミンDも多く含まれています。たんぱく質源としては、魚に限らず肉や大豆製品などバランスよく摂ることが大事です。」
「好き嫌いはありましたか。」
「特にはありませんが、いまだに食べられないのは納豆。当時の西日本に納豆文化がなかったので、抵抗があります。匂いが一番苦手。でも高校時代は寮生活で全部食べなきゃいけなかったので、おみそ汁に混ぜて飲み込むようにして食べていました。」
「納豆は独特のにおいがあるため、好き嫌いの多い食品ですが、畑の肉と言われる大豆を原料に納豆菌を使った発酵食品です。納豆菌には有害細菌の繁殖を防いだり、血栓溶解作用もあるので、おすすめです。ただ、納豆の酵素“ナットーキナーゼ”は70度以上の熱で効力が失われるので、食べ方には注意が必要です。みそ汁を飲む寸前に納豆を加える方法なら温度も冷め、苦手な食べものが食べられる良い工夫だと思います。」
「好きな食べ物はなんですか。」
「お好み焼きが大好きで、私のスタミナ源です。広島風お好み焼きは、栄養的にも良いですよ。子どものときは週に最低1、2回、社会人になっても週2回は食べていました。今でもたまに、無性に食べたくなります。今は1年に数回程度寮で食事会があって、みんな私が作ったお好み焼きが一番おいしいと言うので大体お好み焼きを振舞っています。」
走る行為そのものよりも、勝つための「戦略」にこだわる
「陸上競技を選んだキッカケはなんだったのでしょうか。」
「小学校入学寸前に脚を20数針縫う大事故にあい、ギプスをはめて松葉づえで入学式に行きました。皆がとんだりはねたりしてじっと席に座ってない中で、僕はギプスで動けなかった。それでギプスが取れた瞬間から、魔法のごとく本能で走り出した感じです。小学生の頃は自主的にマラソン大会を調べて新聞の切り抜きを親に持って行き、これに連れて行ってくれと頼んで参加するような事をやっていました。中学で陸上部に入り、全校で行う校内マラソン大会では3年間連続1等でした。」
「陸上競技のどのようなところに魅力を感じたのでしょうか。」
「実は、走る行為そのものはあまり好きではありません。今でも、走ろうと思わない。走ることより、どうやったら強くなるか作戦を考える勝負師でした。人に勝つという喜び、勝負事が好きなんです。遊びにしても、一人でトントン相撲の番付表や力士名に取組表まで作ったりして、白紙のキャンパスに自分でデッサンしてルールを作って色々考えながら遊ぶのが好きでした。
校内のマラソン大会は事前に下見に行って、どこからスパートをかけるか、などと考える。勝負に対するこだわりが、子どもの頃からあったんでしょうね。いっぱい練習するより、どうやったら早くなるかをずっと考えているような子でした。」
「当時の夢を教えてください。」
「特に将来のビジョンはなかったけど、『人前でサインを書ける人間になりたい』とかはあったかな。出来ないことを発信しても単なる嘘つきになるから、言った以上はやりたいですよね。」
「勝つための作戦」を立てて行動する!
「高校の陸上部時代、食事や栄養について問題などを感じたことはありましたか。」
「当時の高校部活は“運動中は水飲むな”の時代でした。給水という概念がなく、山の中で合宿したときは生きる手段として川に入り、水を飲んでまた走るということをしていました。そうしないと自分が疲れて倒れちゃうと、感覚で知っていたのでしょうね。自分で作戦を立てて行動することが好きでしたから、倒れる前にどうやったら生き延びるかを考えながら行動してました。
それから運動時に炭酸飲料をやめるとか、栄養的に良くないものはできるだけ試合後まで我慢していました。大会で成果をおさめたり、疲れた後にはごほうびとして我慢していたショートケーキなど甘い物を食べていました。」
「『飲水が禁止されていた時代でも、水を飲まなければ倒れてしまう危機感から飲んだ』とか、『ハードな練習や大事な試合前には良くないと言われている食べものを我慢し、試合後“自分へのご褒美”として食べる』というようにメリハリを付けることは“スポーツ栄養学”的にも大事なことだと思います。食事は『練習の総仕上げ』であると同時に、選手にとって『大きな楽しみ』でもあるはずですから。」
「高校生のときは、将来どのような職業に就こうと考えていましたか。」
「僕はもともとは大学卒業後、体育の教員になる予定でした。結局は中国電力で陸上部の実業団として走る事になりましたが、念ずれば叶うで、回り回って53歳にして今その夢が叶い教授という立場をいただき、人生すべて無駄はなかったなと思いました。」
成果を出すためにはまず動く。“何もしないこと”が一番の失敗
「実業団選手時代に、得たものはなんでしたか。」
「選手として一番良い時期に故障して自分のパフォーマンスを上手く発揮出来なかったので、自分が強かったか弱かったかよくわからないまま引退してしまいました。だから学生には、『明日死ぬと考えた時にどう日々活動していくかを考えなさい』と、と私自身が肌身で感じた経験上のアドバイスをしています。結果は二の次で覚悟あるいは与えられた環境をいかに真剣にやりきるか、そこを大切にします。
成果が出て順風満帆に右肩上がりで成長すればいいけれど、世の中そんな甘くない。だから基本的に与えられたことはしっかりやるとともに、それをどうアレンジし、強くなるためにはどうあるべきかを考えながら行動していく。それを心がけてほしいと思っています。」
「ビジネスマンとしての活躍にも、『戦略』がありましたか。」
「当時は電力の自由化がなかった時代で、独占企業だったので営業をして電気契約を結ぶというような営業活動はありませんでした。しかし私は自由化の先駆けで、今まで誰も経験したことが無い分野に取り組んでいたので、電力会社の中では異質な存在でした。当時はちょっと頑張ったので成果が上がりましたが、一般的な『営業』最前線の中でも同じことができたのかと言われると、よくわかりません。ただ、人と同じことやっていてもしかたがないので、今までなかったところに初めて参入し、与えられた中で自分なりに頑張っていました。
学生達には、マーケットが成立していない未知の世界の中の中で『勝てる畑』を見つけて活躍する、それを選ぶ嗅覚をつかんでほしいと思っています。」
「新しい世界に飛び込むときに、必要なものはなんですか。」
「成果を出すためには、動かなきゃいけない。無駄を大切にしつつ、いかに相手の心をつかみながら効率よく動いていくか。無駄と効率化、一見真逆なことを言っていますが、無駄を大切にしながらも効率化を図る、結果を出すためにはどうするかを考える。
それは陸上競技も一緒で、自分がどう強くなるかを常に考え、組み合わせながら活動していけば成長すると思います。ただボケっと漠然と日々を過ごすことなく、戦略家になってほしい。役職についている人だけがリーダーなのではなく、各々が自分自身のリーダーであるべきなんです。」
「挫折やスランプは、どのように乗り越えてきましたか。」
「『俺に任せておけば大丈夫だ』というところを証明していけばいいんです。立ち止まると何も発展がないのだから、落ち込んでいるヒマはない。失敗したものはしょうがないし、失敗した事象のデータは一つの自分の財産になります。
私はよく、学生に失敗しなさいと言うんですよ。最初から失敗しようと思って失敗する人などいない。チャレンジしていく過程で起きる失敗はつきもの。失敗はだれも否定しない。否定する輩は管理職になっちゃいけないんです。若いうちに小さい失敗を繰り返しておく。大打撃を与えるような失敗はダメですが、スモールな失敗を繰り返すと、その失敗は財産になる。そして、その真逆をやれば成功になるわけです。“何もしないこと”が一番の失敗だと思います。」
原監督と寮母で奥様の美穂様とご一緒に@青山学院大学陸上部町田寮前
取材日:2019年7月3日
選手&チームのご紹介
原晋(はら・すすむ)さん
1967年3月8日、広島県三原市生まれ。青山学院大学体育会陸上競技部長距離ブロック監督。中学から陸上を始め、広島県立世羅高校では主将として全国高校駅伝で準優勝。進学した中京大学では3年時に日本インカレ5000mで3位入賞。卒業後は中国電力陸上競技部1期生で入部。残念ながらケガが原因で5年の選手生活を終え、同社の営業部のサラリーマンに転身。顕著な実績を上げて「伝説の営業マン」と呼ばれる。
チーム育成10年計画のプレゼンを買われて、2004年から青山学院大学陸上競技部監督に就任。着実に改革を進める。
18年の94回箱根駅伝、往路では惜しくも2位であったが、復路では実力を存分に発揮し見事四連覇。10時間57分39秒は大会新記録で、総合四連覇は史上6校目。
2018年10月の出雲駅伝では「ヨロシク(4649)大作戦」のチームスローガンを掲げ貫禄の勝利を飾り、11月の全日本大学駅伝でも「メラメラ大作戦!」で圧勝。
2019年の箱根駅伝は5連覇と史上初となる2度目の学生駅伝3冠に“王手”をかけたが、惜しくも総合2位。しかし、往路6位という逆境の中でも復路優勝を果たすなど、チームを高いレベルに引き上げた手腕には、ビジネス界からも熱い注目を浴びている。
また、全日本大学駅伝終了後、2019年度から同大学の地球社会共生学部の教授に就任されることが発表された。