スポーツ食育インタビュー
元プロテニスプレーヤー
佐藤 文平 さん
手作りの料理を中心とした食生活で好き嫌いなく育つ
「小さい頃の食生活について、教えてください。」
「父の田舎の山形からはネギやトウモロコシなどの野菜や魚が送られ、母の秋田の実家の農家からは米が送られ、ほとんどそれらを使った母親の手料理しか食べていませんでした。ナスの鍋しぎが好きでした。」
「渋いですね。」
「そういうのしか出てこないんですよ。パンやケミカルな物は、本当に食べなかった。食べる習慣がなかったですね。自家製を中心として食べていました。」
「日本の食事が“和食”として注目されているのは、まさにこのような食事だと思います。そして、そのようにその土地その土地の食べ物を大事にするという食習慣が、海外で生活するときにも『その土地のものをその土地で食べるのが一番おいしい!』と感じることが出来るのではないかと思っています」
「小学校高学年のときにスウェーデンで過ごされたご経験があるということですが、現地での食事はどうでしたか?食べられない物が出て困ったことなどありませんでしたか?」
「スウェーデンでは現地の物を食べ、日本では日本食を食べる順応性がありました。何でも食べてきたので食わずぎらいがあまりなく、スウェーデンではミートボールにジャムをつけて食べますが、これが美味しくてよく食べていました。キノコ料理や山菜も結構食べますが、それが美味しいと感じられるような環境でした。ザリガニの頭のミソはちょっとクセのある味で少し抵抗ありましたが、最終的には食べられるようになりましたし、幸せなことに食で困ったことはありません。」
「代表選手になる要素がいっぱいですね!以前お世話になった監督が、代表選手になったときに強いのは、『何でも食べられることとどこでも寝られること』と仰っていましたが、私もまさにそうだと思っています。」
食事には「目的意識」が大切
「当時は母親が考えて作った物を、あれを食べなさい、これを食べなさいと結構うるさく言われました。今は当時のように食べたら太ってしまいますが、成長期には炭水化物をしっかりとってエネルギーに変えて、走り回っていました。
ただ、乳製品はもう少しとった方が良かったと、今になって思います。スウェーデンはチーズを良く食べますが、私はチーズがそんなに好きではなく、パンの上に少しのせて食べるくらいで、積極的にとっていませんでした。牛乳やヨーグルトも嫌いではないけれど、好んでは食べませんでした。スウェーデンのランチではヨーグルトは食べ放題で、一通りは食べましたが、もっと食べても良かったと少し後悔しています。」
「なぜ、乳製品をもっと食べていたら良かったと思ったのですか?」
「成長期には、特に骨のためにカルシウムをよりとる方が良いことを、後に学びましたので。プロになったときには積極的にとるようにしましたが、大人になってからでは遅いと知りました。
“今これをするために、これを食べる”、“こうなるために、これを食べる”といった目的意識を持つと、スポーツの世界で戦っていくときにより力を発揮しやすくなるんじゃないかな、と思います。目的の意識付けは大事ですね。」
「カルシウムに限らず、食べた物がエネルギーの元、食べた物で体はできると私も普段伝えていますが、今おっしゃられたように目的意識を持つと、練習の総まとめが食事だという事にもつながり、効果的ですね。このためには…とか、今この時期だから…というように、目的に合わせて食べるもの(食べるべきもの)を選べる力は一生の宝物になると思っています。置かれた環境の中で、よりふさわしいものを選択する力はアスリートだけでなく、誰にでも必要なものです」
「今は人生100年時代になってきて、食生活は年齢や体の変化に応じて変えていかなければなりません。若いときと同じように食べていたら、絶対に大変な事になる。自分も現役をやめて、体重や体脂肪の変化、筋量や体組成※の変化をすごく感じているところで、食育は大人になってからも必要だと感じます。」
※体組成…人体を構成する「脂肪」「筋肉」「骨」「水分」などの組成分のこと
「体重ではなく、体組成に注目していらっしゃるのがすごいですね。体組成に注目するというのは、一般な方がダイエットをなさるときにも重要なことです。実は“体重”ではなく、“体脂肪率”を注視することで、筋肉量は減らさず体脂肪を落とすという正しいダイエットが出来ますが、体重だけだと筋肉量が減って、体脂肪はそのままということになってしまいがちです。」
「運動してもたんぱく質が足りないと最終的に筋肉から栄養素が取られていきますよね。高校生くらいの子が “太らない”と言うのは、間違いなくそのバランスが取れていないからで、運動量に応じて食べていたら太らないわけがない。“休息・栄養・練習量”のバランスが取れておらず、明らかに練習量の比重が大きいのに、それに対する注力の方法(必要な栄養素の摂取量やタイミングの計り方など)が甘く、それを知らないまま運動している。」
Jリーガーに憧れた子ども時代。スウェーデンでテニスを始めることに
「テニスを始めたきっかけを教えてください。」
「小学1年生のときからずっとサッカーをやっていて、父親の転勤でスウェーデンに行くまでテニスはしていませんでした。スウェーデンで現地の子どもばかりが行くキャンプでテニスをする機会があり、それから週1回テニスを始めるようになりました。」
「子どもの頃は、テニスとサッカーの両方されていたんですね。」
「そうです。基本的にスポーツは好きなので。でも子どもの頃はJリーガーになりたかったので、スウェーデンでも地元のサッカークラブに飛び入り参加してサッカーをやる方が楽しかったですね。ただ、今考えると、私のフィジカルでコンタクトスポーツにどこまで通用していたかは疑問です。成功したとは言えないけれど、テニスを選択して良かったとは思っています。
私が住んでいた1994~1995年のスウェーデンは、サッカーのワールドカップで3位、テニスはデビスカップ優勝、アイスホッケーも世界一と盛り上がっている時期でした。北欧のスウェーデンやフィンランドは、カナダやアメリカのようなスポーツ大国で、夏はサッカーグラウンドでも、冬は水を撒いてスケートリンクにするなど、サマースポーツとウィンタースポーツを使い分けていました。スケートリンクではみんなスケート靴を持って行って滑り、一日中延々とリンクを回っているお年寄りもいます(笑)。寒すぎたらインドアテニスをするなど。日本ではあまり見られない光景で、スポーツが文化となっている背景もあって、スポーツの在り方や関わり方に北欧のすごさを感じました。」
「どの競技でも、他の競技を経験することで幅を広げますよね。」
「そうですね。基本的にスポーツは運動神経が先にあって、その先に技術がついてくるもの。技術だけを先に身に付けようとすると、どうしても体の成長を阻害(そがい)してしまい、力を上手く伝達しきれなかったりするので、最初は自由に伸ばしていく方が良いと思っています。
高校3年生のときに初めて全国大会に出ましたが、それまではテニス歴の長い相手にずっと負けていました。でも、体の成長期に合わせて、自分が見てきた経験や自分にインプットされたものがより体現できるようになり、ようやく結果がついてきた。大学では、インカレ優勝もできて、周囲をどんどん抜いていく瞬間が見える感覚でした。何事も無理にやらせるのではなく、割と自由に育ててもらったのが良かったと思います。」
「最終的にサッカーではなくテニスを選ばれたのはなぜですか。」
「小学5年生のときにサッカーで町田市の選抜に選ばれ、副キャプテンをしていました。ある日、パスも回せてシュートも決められる、すごく調子が良い日があったのですが、チームとしては負けてしまいました。そのとき、自分一人がどれだけ好調で上手くても勝てないのがチームスポーツで、良い意味でセルフィッシュにプレーできるのがテニスのような個人スポーツなんだと感じ、小学6年のときにテニスを選択しました。今でもサッカーの大ファンですが、その決断は良かったと思っています。」
大学院で研究を重ねながらプロの道を歩んだ
「プロテニスプレーヤーになった理由を教えてください。」
「お金がないとプロとして海外遠征などの試合に出られないので、スポンサーを付ける必要があります。年間約1500万円かかるプロ生活の資金がないと、トップスケジュールでは回っていけません。自分は大学のときに優勝したことで、スポンサーがつきました。
また父からは、『プロになるなら人と違う、特色を持ったプロ生活を送れ』と後押しをされ、その当時は教員になりたいという夢もあり、大学入学時には修士課程に行って教員になると決めていました。そこに、プロ生活が後付けでついた感じなんです。
研究の専攻はバイオメカニクス(スポーツ力学)なので、自分の体を研究しました。自分の感覚などを数値化して、自分の限界を日々更新する感じ。1ミリでも理想に近づけるために、修士課程に行きながらプロもやる事を選択しました。」
「プロテニスプレーヤーとの両立は、相当大変な事ではないでしょうか。」
「普通はやらないことなのですごいと言われますが、やってみたら意外とできるものです。サッカー選手だって、1日2時間程度しか練習しませんよね。24時間のうちの2時間、それ以外に睡眠や食事の時間を取っても、何時間か余ります。その時間をどう使うか。ファッション、デザイン、ショッピング…何でもできる。私はその時間を、大学院の修士課程に費やしただけ。でもその選択をしない人が多い中だとそれが少し輝くようで、面白いねとみんなに言ってもらえる。プロとして活動する上で、必ずしもテニスで成功するとは限らないので、そこはかなりメリットだったと思います。」
「その研究は、自分のプレーにどう生かせましたか?」
「研究結果をそんなにすぐにフィードバックすることは、至難の業です。ただエビデンス(根拠)として、自分がこうであるべきとか、自分がこうしたらこうなるというものの理解が少し深まった感じがします。感覚だけじゃなく、テニスをより科学的に、客観的に見ることができたのは大きかった。
日々、腕や足の太さ、胴体や胸囲のデータを取り、体組成を1か月後、3か月後と測ってどう変化していったのか追うと、トレーニング効果がどこに出ているかが間違いなくわかります。そこを追うか追わないかは結構な差で、俺はここまでやったっていう自信、自分のエビデンスになり、一つの“芯”を持つことにつながりました。」
「他人ではなく、ご自身の体だと24時間全部データを追えるわけだから、最も正確ですね。」
「自分だと即決断できるので、色々試せました。失敗から学ぶこともたくさんありますが、スポーツ科学を知ると効率的に良い栄養素をとって、体組成をしっかり変えられるというメリットがあるので、スポーツ科学に携わってよかったと思います。」
取材日:2019年3月28日
選手&チームのご紹介
佐藤文平(さとう・ぶんぺい)さん
元プロテニスプレイヤー・テニス解説者。1985年生まれ。東海大学菅生高等学校→早稲田大学スポーツ科学部→早稲田大学大学院修士課程→日体大大学院博士後期課程在学中。07年インカレ優勝。3年生で全日本学生テニス選手権学生ランキング1位。08年早稲田大学スポーツ科学部卒業、プロデビューと同時に早稲田大学大学院修士課程進学。10年修士課程修了。12年日本初出場のATPワールドチームカップ(デュッセルドルフ大会)日本代表。13年全日本テニス選手権ダブルス優勝。錦織選手とはヒッティングパートナーを務めた経験もありプライベートでの親交も深い。日体大大学院にてスポーツバイオメカニクスを研究。2019年4月より多摩大学の専任講師。「ジェロントロジープロジェクト」の関連で、「スポーツとメディア」「スポーツとジェロントロジー」「地域とスポーツ産業」などの講義を担当。