スポーツ食育インタビュー

射撃(しゃげき)選手として2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンとパラリンピック3大会連続出場をした田口亜希さんに、射撃との出会いや今後の目標、パラスポーツに対する思いなどをうかがいました。

射撃がやりたい気持ちを、車いすになって思い出した

「ライフルとの出会いを教えてください。」

「競技としては病気になってから出会いましたが、実はその前から興味があったんです。飛鳥に就職後、研修先のホテルでベルガールをしていたとき、ダンディなお客様に『クレー射撃(散弾銃でお皿を割る射撃)をやってるんだけど、君が働く船でクレー射撃ができる?』と尋ねられました。今は海上投棄が厳しくておそらくできないと思いますが、その当時は洋上でクレー射撃をしている船もあったんです。調べた結果、飛鳥ではできない旨をそのお客様にお伝えしたのですが、そのときから『クレー射撃ってなんて面白そう、なんて楽しそうなんだろう』と興味を持ちました。ただ機会がないまま4年が経ち、病気で車いすのリハビリをしていた病院で仲間と“車いすに乗ってできるスポーツ”の話をしていた際に『射撃もある!』と言われ、そのときに射撃をやりたい気持ちを思い出しました。
退院後、会社の方が『車いすでも働けるところを』とグループ会社に声をかけて探してくださり、バリアフリーが整っているということで日本郵船の神戸支店で働くようになりました。本当に人に恵まれていて、会社も本来なら病気の自己都合なので退職でも仕方ないのに、みんなが助けてくれました。
そして病院で一緒だった知人と食事をしたとき、『射撃を始めたんだけど、亜希ちゃんも射撃に興味あると言っていたから、練習を見に来ない?』と誘われ、行ったのがきっかけで射撃をはじめました。」

「射撃のセンスはどこで磨かれたのですか?」

「スポーツだけじゃなく、色々な分野で向き不向きがあると思います。監督やコーチからは『亜希は最初から当たっていた』と言われていましたが、自覚はありませんでした。いきなり車いす生活になり本当に何もできなくなって、できることは何もないのではという中で、これならできるのでは?と悪戦苦闘しながらやっていた中の一つでしたから。私でもスポーツ、射撃ができるんだっていう楽しさだけで、選手になりたいとは思ってもいませんでした。
私は運動神経が良くなく、自身にそのような可能性があると思っていなかったのですが、射撃には向いていたのかもしれません。何事も向き不向きがあり、さらに最初に教えてもらう人の大切さを感じました。
射撃は身体能力も必要ですが、銃の設定も大事です。銃は頬をつけるところ、肩をつけるところ、手をつけるところなど、障害の度合いや体型など、その人に合わせてどんな風に銃を構えたら一番楽な撃ち方で撃てるかが重要で、私の場合は最初のコーチが設定してくれました。そのコーチが良くて、教え方も上手でした。自己流だと変な癖(くせ)がつく場合もあります。エアーライフルは10m先の0.5mmの標点に当てる繊細な競技で、私の出た種目は60発全部を10点代に当てないとファイナル、ベスト8には残れないことがあります。ただ単に1発2発当てるのではなく、60発全部当てなければならない種目なので、無理な姿勢でやっていると途中で力尽きてしまいます。60発耐えられるベストな姿勢を作ることが、とても大切です。」

「身体に負担のない継続できる姿勢が要るのですね。視力はすごくよかったんですか。」

「視力は良いです。いまだに2.0くらいあると思います。ただ眼鏡やコンタクトをつけて撃つ人もいますので、視力だけがすべてでもなく、少しぼやけるくらいの方が変に狙い撃ちしないと考える人もいます。」

「小さい時から何か決まった遊びをするのではなく、公園で遊んだり木登りをしたり、いわゆる基礎体力を作ってこられたこと、そういう能力が発達する時期に、こだわらずに色んなことを広くされていたことも良かったのではと思います。」

「どういう素質がある方が向いていますか?」

「もちろん技術ですね。それぞれ種目によって違いますが、60発すべてを狙える力。技術には呼吸や照準力、見る力、引き金を引く力、集中力なども含まれます。集中力を50分保つことは、なかなかできません。長い種目は3時間ほどあり、もちろん途中で“もぐもぐタイム”のような食事休憩があったり、銃の構えを変えたりしますが、普段の練習から集中力を戻す方法を訓練しておくことは大事です。」

「ちなみに集中力を戻す方法やローテーションは“企業秘密”ですか(笑)。」

「全然、みんなに言っていますよ。緊張などで集中力がなくなったら、自分流で8回呼吸します。集中力を戻す自己暗示ですね。あとは水を飲むとか、一通りの流れや自分が注意しなければいけないことを紙に書いて、それを見直したりします。様々な段階があって、呼吸が戻らない場合にすることや、集中力カードを見て集中するなど、いくつかのパターンを決めて普段からやっています。
手元で1mm狂えば10m先50m先ではすごく狂ってしまいます。緊張しすぎて震えたときは、『自分はここにいる誰よりも練習してきたから大丈夫!』と勇気が出る言葉をとなえたり、銃を撫(な)で『あんたは大丈夫!あんたは当たる!』と言ったりして、銃と一緒に戦っています。」

「最初は何から始めればよいのですか?」

「私もそうでしたが、『ビームライフル』という光線銃から始める人が多いです。という光線銃から始める人が多いです。銃刀法に関係なくどこでもできるので、高校でも射撃部がある学校では使用しています。ビームライフルをある程度やって、次は空気銃の所持許可を取り、更に段級を取り22口径を始めるなど、人や種目によって違います。」

2020東京に向けて、障害者が不便を感じないためには

「職場にバリアフリーの環境があったということは、既に車いすの方を受け入れていたのですか?」

「今のところ車いすユーザーは私一人です。飛鳥の船長をはじめ、みなが家族のような存在で、私が入院中は休暇になると乗組員がお見舞いに来てくれました。父に『いい会社で働いていたんだな』と驚かれるほどでした。今の職場『日本郵船』でも、みなが親切にしてくれます。」

「人材を大切にする会社は、とても貴重だと思います。」

「田口さんのお人柄だからというのもあると思います。接客の基本は優しさで、それを徹底しておられて、すごく素敵な方だからでしょうね。」

「周りの人に恵まれているんです。病気になる前も後も、今もずっと、人の力って大きいなと思います。」

「気づき、行動することは大事ですね。今後そういう環境づくりがもっともっと広がらないといけませんね。」

「そうですね。多分それは障害のあるなしだけではないと思います。高齢者も、多種多様な働き方も色々出てくると思います。
2020東京に向けてそれを職務とする社会貢献チームに異動となりました。でも当初は車いすが入れる多目的トイレを何人かの社員が普通に使用していて、いつも誰かが入っていて困りました。そのうちに面識のない女性から『また使用中?大丈夫?出るよう言いましょうか?』と声をかけてもらったり、男性からも『言いますよ』と。少しずつ環境が変化し、使用する人も減ってきました。」

「私は個人的には、多目的トイレは本来必要がない方は空いていても使わないでほしいと思っています。」

「日本では、多目的トイレを使用する健常者が少なくない状況です。使用する人も、悪気はないのだと思います、多分。わからないだけ。でも、日本全体で考えないといけない問題で、国際的にも実は恥ずかしいことなんですね。海外からのお客様がそれを見たときにどう思うか、2020年パラリンピアンが街に出たときにどうなるのか。多目的トイレや障害者用駐車場は空いてることも多いので使ってしまうのだと思いますが、そこしか選択肢がない人もいるということを知って欲しい。障害者がまだまだ外出しにくい・働きにくい環境です。障害の有無にかかわらず、皆が暮らしやすい社会を考えていかなければいけません。」

「教育現場でも教えて欲しいですね。わからないと、気づかず迷惑をかけてしまうことがあると思います。」

「先日も小学校で講演する機会があり、子どもたちには知らない人がいたらみんなから教えてあげてね、と伝えてきました。同じ学校に障害者がいたら、そこの子ども達は知ると思います。私も講演で障害者用トイレの使用方法や広さの理由、また車いす用駐車場についても正しい情報を伝えていこうと思っています。自分が病気になるまで、私もそのことを知らなかったので。
私たちパラリンピアンや障害者が自分たちの声で伝えていく必要があると思います。WHOの調べでは、全人口の10%は障害者だそうです。そこには妊婦やベビーカーを押している方、ケガをしている人、高齢者は含まれておらず、これらの方々を含めると全人口の20%になるだろうと言われています。」

「日本でも“ダイバーシティ(=多様性)”という言葉も浸透(しんとう)してきて、今後も多種多様な対応が、国内だけでなく海外からも求められると思います。そのためにも対応能力、環境整備が必要ですね。」

「田口さんのようなパラアスリートの方がそのようなことを声に出してくださることも、もう一つの大きなお仕事のような気がします。」

「『多目的トイレを作って欲しい』、『バリアフリーにして欲しい』と要望していますが、要望が過ぎると、どこまでが権利でどこからがワガママなのか、どれがみんなにとっても良いのか、バランスが難しいと感じ、自分自身が悩むことが多々あります。」

パラリンピック3大会を通じて得たものとは

「これまで出場したパラリンピックについて、ご感想をお聞かせください。」

「特にアテネ、ロンドンは仕事をしながらの競技生活で、ガムシャラに週末練習に行っていました。北京のときはちょうど結婚後で仕事をしていなかったので、月曜日から日曜日まで毎日練習。射撃場が休みのときもビームライフルの教室に行っていたので、精神的にもすごく力になったと思います。
北京パラで8発目に1点落としたとき、ファイナルに残れなかったらと不安になりましたが、『ここにいる誰よりもやってきた』と強く思い、今まで自分でしてきたことを力にしました。射撃は相手のいるコンタクトスポーツではないので、標的が相手。4年間かけて最高峰の場パラリンピックでどれだけ力を出し成績残せるか、その想いをぶつけました。アテネ、北京と入賞し、ロンドンは3度目のパラでメダルを取りたいと思いました。
2016年オリンピック・パラリンピックの招致活動に関わり、そのときにオリンピアンの室伏広治さん、小谷実可子さん、荒木田裕子さんとご一緒し、皆さんが自身のことだけでなく、競技、スポーツ界の将来や発展のために尽力されている姿を見て、なんてすごいんだろうと感化されました。私自身が逃げていたのではダメだと思い、今まで口にしたことがなかったメダル宣言をして自分を追い込みましたが、ロンドンではかつてないほど酷い結果に終わりました。精神的に疲れてしんどくなり、ロンドン後しばらくはスポーツの試合を見ると呼吸が苦しくなる時期がありました。もっと自分を持っていればよかった。結局1年くらい不調で、射撃から離れていました。」

「現在は射撃やパラリンピックのために意欲的に活動されていますが、そういった経緯もあったのですね。 」

「2020年パラリンピックを成功させるために、組織委員会のアスリート委員など、そして射撃連盟理事になって、今は支える側として活動しています。
パラアスリートの中には、障害で引きこもっていたけれど、東京パラリンピックが決まり自分も何かできるのではと思って競技を始めた人もおり、そのような人たちを支えるのは楽しく、やりがいがあります。連盟の他の理事たちは健常者で元選手ではないため、合宿の予定を早めに組んだり、選手の障害に応じて宿を手配したりと、選手だったからこそわかる事や経験が生かしたいと思います。ホームぺージ制作でも、あると便利な情報を載せるなど、見やすくする工夫をしています。」

パラスポーツをブームで終わらせないために

「2020東京パラリンピックについて、メッセージをお願いします。」

「ぜひ会場に来て見てほしい、盛り上げてほしいです。2016年のリオパラリンピックのとき、ブラジルですごく盛り上がり、みなさんの応援が力になったという日本人選手がすごく多かった。だから絶対応援してほしい。日本人・外国人関わらず、選手の良いプレーにはブーイングではなく『ナイスファイト!』と、日本ならではの拍手や応援をして欲しい。
でも、パラ競技のルールを知らない、マナーを知らない、では応援できませんよね?たとえばブラインドサッカーの選手たちは、鈴の入ったボールを蹴るので静かに観戦しなきゃいけない。また、有名なオリンピアンなら国内外問わずみんな10人くらいは選手名が言えると思いますが、パラリンピアンの選手は日本人選手すら知らない人もまだ多いのでは?
2020東京まであと約600日(※インタビュー当時)。その間に色々な場所でパラリンピックのプレ大会やテストイベントを行いますので、大会や体験会などぜひご家族で来てください!まず選手たちを知り、マナーやルール、競技の特性や何が難しく、何がすごいのか…体験を通じて知っていただけたら、楽しさもわかってもらえるのではと思います。
日本では、障害のある可哀そうな人が頑張ってる大会、というイメージを持たれている人もいるかもしれませんが、試合を見てもらえば、障害はあっても単純にスポーツが好きで、競技でトップになりたい、一番になりたいと思ってみんな頑張っている、障害があるだけでやっていることは世界トップレベルの素晴らしい競技だとわかってもらえると思うんです。まずは見て、身近に感じてもらうことが大切だと思っています。
2020東京でパラリンピックは終わりではなく、ずっと続きます。ぜひその後もみなさんに応援してもらって、楽しんでもらいたいと思っています。現在様々な支援がありますが、この状況が永遠に続くのではないことを、私たち、そして現役の選手たちも理解した上で、今後のことまで考える必要があります。今これだけ支援があるのは2020東京があるからで、その後は自分たちがどのようにしていたいのか、できるのかを考えておかなきゃと思っています。だからみんなが観戦を楽しみリピートしてくれるような、そういうパラリンピックにしたいと思います。」

「未来に向けて、子どもたちにアドバイスをお願いします。」

「先生や家族の言うことは、ちゃんと聞いて欲しいと思います。特に食べ物について言えば、家族の方が出してくれたものは、ちゃんと健康に育ってほしい、成長してほしいと子どものためを思って作ってくれているので、残さず食べてください。勉強も給食だって、ちゃんと考えられて提供されているので、先生たちの言うこともちゃんと聞いてしっかり食べるということを守ってもらいたいなって思います。そして…よく寝てよく遊んでください!」

取材日:2018年12月21日

選手&チームのご紹介

田口 亜希さん

大阪生まれ。
大学卒業後、郵船クルーズに入社。客船「飛鳥」にパーサーとして勤務し、世界中を航海。
25歳のときに脊髄(せきずい)の血管の病気を発症し、車いす生活になる。
退院後、リハビリ中に出会った友人の誘いでビームライフル(光線銃)射撃を始め、その後実弾を使用するライフル射撃(エアーライフル銃、22口径火薬ライフル銃、)に転向。
アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場。アテネでは7位、北京では8位に入賞。2010年アジアパラ競技大会3位銅メダル獲得。
現在は日本郵船(株)広報グループに勤務。
また、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員、エンブレム選考委員、ブランドアドバイザー、マスコット審査会委員等を務める。
他に、スポーツ庁スポーツ審議会スポーツ基本計画部会委員、世界パラ射撃連盟の選手代表、特定非営利活動法人日本障害者スポーツ射撃連盟理事、一般社団法人日本パラリンピアンズ協会理事、公益財団法人笹川スポーツ財団理事、日本財団ボランティアサポートセンター理事を務める。

編集部より

田口亜希さんに会った方は誰もが、彼女のあふれんばかりのエネルギッシュでエレガント、かつ楽しいキャラクターに魅了(みりょう)されるのではないでしょうか?これまで相当な試練と過酷な状況を乗り越えて来た彼女の笑顔に、かげやくもりはなく、人をいやす笑顔で気さくに楽しそうに貴重な体験談をお聞かせいただきました。 あまりに楽しいひとときで予定時間をオーバーしてしまいましたが、その後新幹線で講演会に向かわなければいけない状況でも、温かく余裕をもって見送ってくださり、人を包み込む優しさも感じるお人柄でした。 パラスポーツのサポートに力を注がれる情熱は文面からも伝わったかと思いますが、私たちがもっと意識を向け共に盛り上げていけたら、より素晴らしい世界が広がるのではと改めて感じました。まずは2020東京オリンピック、パラリンピックを応援しましょう!そして特にパラスポーツがその後も注目される社会・環境になるよう、一人一人が考えていけたらと思います。