スポーツ食育インタビュー

リオパラリンピック出場を目指し、毎日トレーニングを続ける土田選手。数々の輝かしい記録を持つ土田選手を支えているものとは? 色々なお話をうかがいました! (画像提供 W-STAGE)

トレーニングと休息のバランスが重要

「レースのないときは、どのようなトレーニングをしていますか?」

「この競技には、海外のレースを含めるとオフシーズンはありません。ただ、ある程度年齢がいってからは、冬期を体づくりの期間に設定して、ウェイトトレーニングと動作解析(かいせき)を中心に行っています。午前2時間、午後2時間が基本ですが、ウェイトトレーニングをするときは午後は3時間くらい。」

「食事の摂(と)り方も、意識していますか?」

「筋力を付けたいので、タンパク質を多めに摂って、食事で摂りきれないところは、サプリメントやプロテインで補っています。ただ、年齢的に今までと同様のやり方だと体重が増えてしまうので、摂取のタイミングを考えるようにしていますね。筋力トレーニングをやった日は、運動直後30分以内にはプロテインをとって、普段は摂らないとか。寝る1時間前に摂るとか。」

「レースが続くと大変ですね。」

「2月の東京マラソンの後は、4月にロンドン、ボストンと2週間のうちにレースが2本あるんですよ。だから、スタミナが必要です。」

「今までも、ずっとそんなペースだったんですか?」

「そうですね。男子になると4戦連続という人もいます。国際レースは、時期が重なるので。『アボット・ワールドマラソンメジャーズ』というシリーズレースは、出場してポイントを稼ぐ必要があるので、数をこなす選手も増えてきます。」

「そうなってくると、体づくりと同時に、リカバリーも重要になりますね。」

「そうなんです。もう40歳なので『寝れば治る』という年齢ではなくなってきています。筋力トレーニングの後の“超回復”は48時間と言われていますが、疲(つか)れがたまっているときはもう少し長目に休息を取るようになりました。」

「ご自分の疲労(ひろう)度に合わせて臨機応変にやっているのは、すごいと思います!」

「トレーニングが終わって帰ってきて、体の疲れよりも脳の疲れを感じることがあります。体は動くけれど、思考が伴わないというか。」

「脳のエネルギー不足を感じたら、ほんのちょっとだけ甘いもの、それも和の甘いものを召し上がるといいですよ。」

「あんことか、黒糖とかですか?」

「黒糖という単体だとレース中は携帯にも便利かもしれませんね。ただ、もし摂りやすい環境でしたら、出来れば、お団子とか大福の方ががいいですね。大福のように、外側のモチと中のあんこ、それぞれ血糖値の上がり方が違うものを食べると、血糖値変化がゆるやかになるので良いと思います。」

「いいことを聞きました! 間食も大切ですね。」

「間食は、量さえ加減すれば、次の行動へのエネルギー源になりますよ。」

競技を極めたい。その強い思いがモチベーション!

「土田選手は数々の大会で結果を残していて、今は頂点にいると思うのですが、競技を続けるモチベーションはなんですか?」

「私は、現時点で自分が頂点だとは思えないんです。まだ勝てていない選手、超えていない記録があります。最近は若手の強い選手も増えてきている。いつも、今いるところからの挑戦なんです。
きっと、自分が頂点にいると感じたら、そのときは納得して引退するんだと思いますよ。」

「これだけは他人に負けない、と思えるものはありますか?」

「私は、体を動かすことは好きだったけれど、元々運動能力の高い子どもではありませんでした。障がいを持ってスポーツを始めて、真剣に競技と向き合って、努力して、継続してきたから今があると思います。」

「どのスポーツでも、トップになった方は『練習は裏切らない』と言いますね」

「あとは、目的意識かな。人間だから、調子が悪い日も、練習をしたくないと思う日もあります。でもその気持ちを奮い立たせるものは、目標ですね。この大会で優勝する、金メダルを獲る。そのために、明日は今日を越えようという気持ちになります。」

「競技を継続する、魅力(みりょく)はなんでしょうか?」

「車いすレースは、乗り物と体を一体化して、はじめて結果に結びつくんです。車いすの進化があり、それに伴う体の進化があって、それは時代ごとに変わる。その中で、自分の可能性を極めたいという気持ちがずっとあります。練習をやっていく中で、新しい発見がある。だから、興味が湧く。その変化が面白いんですね。変わっていく自分を知ることができる、可能性を感じられることが面白い。」

「メンタルが強いんですね。」

「そんなこと無いですよ、浮き沈みもありますし。ただ、落ち込むこともありますが、そこから上がってくるのがすごく早いんです。一度決めたら、スパっと切り替えられる。これは、子どものころからずっとなんですけど、結婚して主人に指摘(してき)されて、初めて気付かされました。昨日は落ち込んでいたのに、寝て起きたら元気になっている。主人は『付いていくのが大変だよ』ってボヤいてますけれど(笑)。」

妊娠・出産を経験して、考え方が変わりました

「体力を維持(いじ)する秘訣はなんですか?」

「私は、はじめは根性論から入ってます。やって、壊して、またやって。でも、そのままでは勝てないし継続できない。今までは練習の量にこだわっていましたが、年齢とともに質を求めるようになりました。
あと、子どもを産んでから“臨機応変”という言葉を覚えましたね。それまでは、スケジュールをしっかりパズルのように組み立てて、計画通りに練習できないとイライラしていたんです。でも、子育てはイレギュラーの連続。熱が出たらかかりきりだし。どうしよう? と思ったとき、『空いている時間で何かをしよう』と考えられるようになった。子育てを通して、自分も成長させてもらったと思っています。」

「競技を続けながらの出産・子育てはご苦労が多いでしょうね。」

「妊娠中は大変でした。初期は安静にしないといけないしあまり動かなかったら、体重が増えて、妊娠糖尿病の一歩手前になってしまって。
じゃあ運動しようとなったとき、車いすでできる有酸素運動ってなんだろう? と。レース用の車いすは前傾姿勢(ぜんけいしせい)で乗るからお腹を圧迫するし、腹筋と背筋を使うので、過度な運動になってしまう。それで、水中運動をするようにしたのですが、これがよかったですね。
また食事も1日1300キロカロリー以内におさえてくださいと言われて、そこからカロリーを意識して、食品パッケージの成分表示を見るようになりました。スポーツドリンクを飲むより水にしよう、とか。そうやって妊娠期に意識を変えていったのが、今にもつながっていると思います。」

「そういうキッカケは大事ですよね。同じようなものに見えても、糖質や脂質の少ないものを成分表示で確認する習慣を付けるのは、大事なことです。」

「でも、当時は苦しかったですね。障がいがある方の出産例があまりないから、必要な情報が入ってこないんです。私の場合、その中でも自分に合った方法が見いだせて、良かったとは思いますけれど。」

「土田選手は、競技者としても母としても先駆者で、後進のために結果もデータも残していて、素晴らしいですよ。」

「まだ、ちゃんと残せるところまでいっていないので、今後はなんとか残す方法を考えるのも、課題の一つです。」

パラリンピックは、みんなに可能性がある!

「次は2016年のリオですね。」

「今までは、一つのパラリンピックが終わるごとに次の4年間のビジョンがあったのですが、2012年のロンドンが終わった後は、4年後が見えなかったんです。だから、まずは1年ずつを目標にしました。リオが見えてきたのは、2013年のフランス・リヨンで開催された世界選手権で銀メダルを取ってから。そこから、リオで金メダルが獲りたいという思いが芽生えました。大会から得るもの、教えられるものは大きいですね。」

「2020年の東京オリンピック・パラリンピックは招致(しょうち)活動もされていましたが、意気込みはどうですか?」

「微力(びりょく)ながら、お手伝いさせていただきました。そのときに選手としてやっているかはわかりませんが、一国民として自分が出来ることをやっていければいいと思っています。」

「今、パラリンピックを目指して練習している人にメッセージをお願いします。」

「私は、障がいを持った時点で、どの人にもパラリンピック出場の可能性はあると思います。高い目標を持って、でも高すぎると挫折しちゃうかもしれないから、低い目標を一つずつ積み重ねて、その先に2020年を目指していただけることを、一選手として願っています。」

取材日:2016年1月19日

選手&チームのご紹介

土田 和歌子(つちだ わかこ)

1974年生まれ、東京都出身。高校2年生の時に、友人とドライブ中、交通事故に遭い車いす生活となる。
1993年アイススレッジの講習会に参加したことがきっかけで、日本で最初にアイススレッジスピードレースを始める。1998年長野冬季パラリンピックでは1500mで自己の世界記録を更新し金メダルを獲得。1000mでも金メダルを獲得し2冠を達成。100m、500mでも銀メダルを獲得した。
1999年からは陸上競技に転向。2004年アテネ夏季パラリンピックでは5000mで金メダル、マラソンで銀メダルを獲得し、日本人史上初の夏・冬パラリンピック金メダリストとなった。
2008年北京パラリンピックでは5000mレース中のアクシデントによる怪我で2か月に及ぶ入院生活を送ったが入院先で現役続行を決意。2012年ロンドンパラリンピックでは日本選手団主将として出場も、マラソンで転倒し終盤挽回するも5位に終わった。
2013年10月には12年ぶりに自身の持つ公認世界記録を更新した。現在は海外メジャーマラソンレースを中心に活動し2016年リオデジャネイロパラリンピック、マラソン種目で悲願の金メダル獲得を目指す!
2014年10月より八千代工業所属 

■オフィシャルブログ
http://www.tsuchidawakako.net/

編集部より

土田選手が色紙に書いた言葉は「極」。自分の可能性を極めたいと思う気持ちが、競技へのモチベーションなんですね。 土田選手をはじめ、世界で戦うパラリンピアンのみなさまを応援します!