スポーツ食育インタビュー

2004年アテネオリンピックに、バレーボール女子代表チームの一員として活躍し、人気を集めた大山加奈さん。現在は、イベントやテレビレポーター、指導者として、活動の場所を広げています。そんな大山さんの、現役時代の苦労話や、指導者としての考え、そしてこれからの夢や展望について、たっぷりお話をうかがいました!

つかれても食べる。食事もトレーニングの一つ!

「高3で代表チーム入りして、何か食生活に変化はありましたか?」

「当時は、特に栄養指導とかはなかったですね。用意されたものをしっかりと食べて、後は練習が終わったらすぐにオレンジジュースを飲むとか。補食として、ヨーグルトとフルーツジュースが、いつでも食べられるように置いてありました。ヨーグルトは好きで、朝食はもちろん、間食や夜食に食べていましたね。」

ひさこ先生:「練習後にジュースとヨーグルトの準備がされているのは、とても良いことですね。ジュースでは使ったエネルギーの補給と疲労回復のビタミンCが、ヨーグルトでは筋肉のケアのためのたんぱく質が摂れる組み合わせは、理想的です。」

「つかれすぎて、食事をしたくないときもありました。特にオリンピック前の合宿は本当にハードで、食欲がわかない。でもそういうときも、つらくても時間をかけても食べてましたね。そういうときはみんな必死で食べてるから、食堂の中がシーンとしてるんですよ。」

ひさこ先生:「まさに、“食べるのもトレーニング”ね。子どもがつかれているから、食べるよりも寝かせてあげようと思う保護者も見かけられますが、私は『辛くても食べられるか』が、強くなれる、選手になれる分かれ目だと思うんです。」

同じケガに苦しむアスリートのために、辛いリハビリを乗り越えた

「高校卒業後は社会人選手になって、どのような生活になったのでしょうか?」

「社会人になってからは、朝食と夕食は寮(りょう)で、昼は社員食堂で社員のみなさんと交流しながら食事をしていました。朝6時くらいに起きて、朝練から始まり、夜は9時くらいまで練習して、その後に治りょうが入るとねるのは深夜1時過ぎ。今考えると、ダメな生活でしたね。そのおかげでオリンピックに出られたのかもしれませんけれど、結果としては腰を痛めてしまったので……。」

「スランプの時、どのように克服(こくふく)していましたか?」

「腰のケガをしたとき、このケガで手術して復帰したアスリートはいない、という話をされたんです。だったら、私がその第一号になればいい、と思って乗り越えることができました。」

ひさこ先生:「とってもポジティブな考えね。」

「いえ、ふだんの性格はネガティブなんですよ。落ちるところまでドーンと落ちて、あとはもう上がるしかない! という状況にする。あとはやっぱり『誰かのためにがんばろう』という気持ちですね。手術したときも、同じケガで苦しむアスリートのために、そして応えんしてくれる人のためにがんばれました。」

みんな可能性を秘めている。あきらめずに、夢を信じ続けて!

「引退後は、子どもたちの指導をする立場になったと思いますが、今子どもたちに伝えていきたいことはなんですか?」

「私は学生時代、ストレッチなど練習後のケアをおこたっていた部分があったんです。自分は大丈夫、と思っていた。そのときからキチンとケアしていれば、もう少し息の長い選手になっていたかもしれません。何よりケガをすると、大好きなバレーができなくなるから、すごく辛い。そんな思いは、子どもたちに味わってほしくない。だから子どもたちには、体のケアの大切さを伝えるようにしています。最近は朝ごはんを食べない子どもが多いみたいですけど、それは親に責任があると思うので、そこはちゃんとしてあげてほしいな。」

「大山さんが触れたくない部分を紹介してまで伝えて下さったこと、無駄にしたくないですよね。朝食についても、親が子どものために食事を作ってあげられる時期って、すごく短いんですよね。私はよく、家族は最強のサポーターだと言うのですが、家族だからできること、家族しかできないことの一つが、食事なんです。」

「では、保護者の方へのメッセージをお願いします。」

「私の両親は、小さい時からいつも試合を観に来てくれたけれど、『ああしろ、こうしろ』というダメ出しは一切しなかった。ただ私たちを応えんしてくれて、オリンピック選手になるという私の夢を、一緒になってかなえようとしてくれました。どうか保護者の方には、子どもの夢を信じてあげて欲しい。それが一番大切だと思います。」

「スポーツをがんばる子どもたちにもメッセージをお願いします。」

「私は運動神経が良くなかったし、体も弱かった。それでもオリンピック選手になれたのは、『夢はかなうんだ』と信じる思いが強かったから。夢を持って、夢をかなえる努力を続けてください。はじめから『無理だ』とあきらめないで。誰でも、何にでもなれる可能性を秘めています。がんばってください。」

「最後に、大山さんのこれからの夢を教えてください。」

「小学生のバレーボールチームを持ちたいですね。勝つこと、強くなることだけを目標にするのではなく、バレーの楽しさを教えられるようなチーム。仲間と協力する、チームワークの大切さを伝えられるような、そんなチームを持ちたいです。」

「大山さんのお話を聞いてると、本当にバレーボールが大好きなんだということと、説得力のあるご自分の経験を披露して下さる姿に“バレーボール愛・スポーツ愛”を感じました! そんなスポーツに出会えて、幸せね。」

「はい。私は本当にバレーボールに出会えて良かったと思っています。そう思える子どもたちが一人でも増えるように、これから活動していきます!」

取材日:2013年10月11日

選手&チームのご紹介

大山加奈

1984年6月19日生、東京都江戸川区出身。小学校2年の時に地元のクラブでバレーボールを始め、小中高で全国制覇。特に成徳学園高3年時には春高バレー、インターハイ、国体の3冠を達成した。
その年に初めて全日本に選出されると、同じく高校生でメンバーに選出されていた栗原恵(現:岡山シーガルズ)とともに「メグカナ」コンビとして人気を博す。高校卒業後は東レに入社。ワールドカップ、アテネ五輪に出場する。2007年ごろから椎間板ヘルニアなどのケガに苦しみ、10年に26歳で現役を引退。日本バレーボールリーグ機構への出向を経て、現在は東レに広報担当として勤務するほか、バレーの指導、普及活動にも携わっている。

【オフィシャルブログ】
http://ameblo.jp/kanaoyama/