現在、卓球日本代表男子チームのストレングス&コンディショニングコーチを務める田中礼人さん。かつては高校球児だった田中さんの子どものころの食生活や、コーチを志したキッカケ、またコーチのお仕事についておうかがいしました。
編集部:「子どものころの食生活について教えてください。」
田中さん:「実は……小さい時は本当に野菜が苦手で、米と肉ばかり食べてました。特に丼(どんぶり)物を好んで食べてました。」
編集部:「なぜ野菜が苦手だったのですか?」
田中さん:「好ききらいというより……食べるように色々出されるので少しはつまむけれど、大好きな白いご飯と肉ばかり食べていたんです。」
編集部:「苦手というよりは、野菜自体に興味がなかったということでしょうか?」
田中さん:「はい、そうです。それよりも肉を食べたいっていう欲求(よっきゅう)が強くて。」
編集部:「給食のときに、困りませんでしたか?」
田中さん:「給食の時は、ちゃんと全部食べてました。」
編集部:「食べられるんですね(笑)。」
田中さん:「はい。食べられるんですが、好んでは食べない。」
ひさこ先生:「よくある、子どもの食習慣っていう感じでしょうね。」
田中さん:「そうですね。からあげがあれば、他にサラダがあってもからあげしか食べず、とにかく好きなものばかり(笑)。小学校4年生ぐらいまでは結構な肥満児(ひまんじ)、太ってました。今考えると、天丼とかかつ丼とか、あげ物好きでした。」
編集部:「スポーツは、小学1年生から野球をされていたのですよね。」
田中さん:「そうです。親はサッカーをやらせたかったようですが、仲がいい幼なじみとそのお兄さんが野球をしていて、練習について行った次の日から入部したらしいです。ただ小学生の時は太っていたので、動くのも走るのもきらいで、何度かやめたいと思った事もありました。」
編集部:「ポジションは?」
田中さん:「小学校4年生からずっとキャッチャーでした。ずる休みはしなかったけれど、とにかく走るのがイヤで……。歩道橋を走って登り降りをする練習の時は、登り終えるとコーチから姿が見えなくなるので、向こう側でちょっとふせていて、誰かが登って来る寸前にまぎれて走ったりする、悪知恵を働かせてはサボっていました(笑)。」
編集部:「それでもレギュラーだったのは、運動神経が良かったのでしょうね。」
田中さん:「小学5年くらいから身長が急に伸び始めて体型が劇的に変わり、だんだん動けるようになってきて、そうしたら運動が楽しくなってきたんです。」
ひさこ先生:「体格が動きに大きく影響したという実感があるんですね。それは、指導の際にすごく説得力がある話になりますね。身長が伸び、身長と体重のバランスが整ってきたら、動くのも走るのもきらいじゃなくなったと。」
田中さん:「はい、バスケットボールやサッカーも結構積極的にやって、サボっていた時とは比べ物にならないぐらい短距離(きょり)も長距離も早くなっていき、中学の時は駅伝の選手にもなりました。」
編集部:「すごいですね。自分で足が速いと自覚されたのはそのころからですか?」
田中さん:「自覚したのは小学5、6年生で動けるようになってから。母も食事にだいぶ気をつけてくれていました。印象深い記憶が、小学4年生の終わりごろ、高熱で食欲がなかった時、野菜がたくさん入ったうどんか何か出されたんです。『うわ~!』と思いながら野菜を食べたところ、とてもおいしく感じたんですね。そこから、野菜を摂(と)るようになりました。母も色々考え油物を減らしたりしてくれていたので、そういった事も手助けになり、体型が変わったんだと思います。」