スポーツ食育インタビュー

Vol.30 後編 車いすアスリート車いすアスリート 土田和歌子選手

妊娠・出産を経験して、考え方が変わりました
試合中の土田和歌子選手

編集部:「体力を維持(いじ)する秘訣はなんですか?」

土田選手:「私は、はじめは根性論から入ってます。やって、壊して、またやって。でも、そのままでは勝てないし継続できない。今までは練習の量にこだわっていましたが、年齢とともに質を求めるようになりました。
あと、子どもを産んでから“臨機応変”という言葉を覚えましたね。それまでは、スケジュールをしっかりパズルのように組み立てて、計画通りに練習できないとイライラしていたんです。でも、子育てはイレギュラーの連続。熱が出たらかかりきりだし。どうしよう? と思ったとき、『空いている時間で何かをしよう』と考えられるようになった。子育てを通して、自分も成長させてもらったと思っています。」

編集部:「競技を続けながらの出産・子育てはご苦労が多いでしょうね。」

土田選手:「妊娠中は大変でした。初期は安静にしないといけないしあまり動かなかったら、体重が増えて、妊娠糖尿病の一歩手前になってしまって。
じゃあ運動しようとなったとき、車いすでできる有酸素運動ってなんだろう? と。レース用の車いすは前傾姿勢(ぜんけいしせい)で乗るからお腹を圧迫するし、腹筋と背筋を使うので、過度な運動になってしまう。それで、水中運動をするようにしたのですが、これがよかったですね。
また食事も1日1300キロカロリー以内におさえてくださいと言われて、そこからカロリーを意識して、食品パッケージの成分表示を見るようになりました。スポーツドリンクを飲むより水にしよう、とか。そうやって妊娠期に意識を変えていったのが、今にもつながっていると思います。」

ひさこ先生:「そういうキッカケは大事ですよね。同じようなものに見えても、糖質や脂質の少ないものを成分表示で確認する習慣を付けるのは、大事なことです。」

土田選手:「でも、当時は苦しかったですね。障がいがある方の出産例があまりないから、必要な情報が入ってこないんです。私の場合、その中でも自分に合った方法が見いだせて、良かったとは思いますけれど。」

ひさこ先生:「土田選手は、競技者としても母としても先駆者で、後進のために結果もデータも残していて、素晴らしいですよ。」

土田選手:「まだ、ちゃんと残せるところまでいっていないので、今後はなんとか残す方法を考えるのも、課題の一つです。」

パラリンピックは、みんなに可能性がある!

編集部:「次は2016年のリオですね。」

土田選手:「今までは、一つのパラリンピックが終わるごとに次の4年間のビジョンがあったのですが、2012年のロンドンが終わった後は、4年後が見えなかったんです。だから、まずは1年ずつを目標にしました。リオが見えてきたのは、2013年のフランス・リヨンで開催された世界選手権で銀メダルを取ってから。そこから、リオで金メダルが獲りたいという思いが芽生えました。大会から得るもの、教えられるものは大きいですね。」

編集部:「2020年の東京オリンピック・パラリンピックは招致(しょうち)活動もされていましたが、意気込みはどうですか?」

土田選手:「微力(びりょく)ながら、お手伝いさせていただきました。そのときに選手としてやっているかはわかりませんが、一国民として自分が出来ることをやっていければいいと思っています。」

編集部:「今、パラリンピックを目指して練習している人にメッセージをお願いします。」

土田選手:「私は、障がいを持った時点で、どの人にもパラリンピック出場の可能性はあると思います。高い目標を持って、でも高すぎると挫折しちゃうかもしれないから、低い目標を一つずつ積み重ねて、その先に2020年を目指していただけることを、一選手として願っています。」

取材日:2016年1月19日

土田選手が色紙に書いた言葉は「極」。自分の可能性を極めたいと思う気持ちが、競技へのモチベーションなんですね。
土田選手をはじめ、世界で戦うパラリンピアンのみなさまを応援します!

選手&チームのご紹介
土田 和歌子(つちだ わかこ)

1974年生まれ、東京都出身。高校2年生の時に、友人とドライブ中、交通事故に遭い車いす生活となる。
1993年アイススレッジの講習会に参加したことがきっかけで、日本で最初にアイススレッジスピードレースを始める。1998年長野冬季パラリンピックでは1500mで自己の世界記録を更新し金メダルを獲得。1000mでも金メダルを獲得し2冠を達成。100m、500mでも銀メダルを獲得した。
1999年からは陸上競技に転向。2004年アテネ夏季パラリンピックでは5000mで金メダル、マラソンで銀メダルを獲得し、日本人史上初の夏・冬パラリンピック金メダリストとなった。
2008年北京パラリンピックでは5000mレース中のアクシデントによる怪我で2か月に及ぶ入院生活を送ったが入院先で現役続行を決意。2012年ロンドンパラリンピックでは日本選手団主将として出場も、マラソンで転倒し終盤挽回するも5位に終わった。
2013年10月には12年ぶりに自身の持つ公認世界記録を更新した。現在は海外メジャーマラソンレースを中心に活動し2016年リオデジャネイロパラリンピック、マラソン種目で悲願の金メダル獲得を目指す!
2014年10月より八千代工業所属 

■オフィシャルブログ
http://www.tsuchidawakako.net/

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