編集部:「奥様はフードコーディネーターでいらっしゃいますね。」
明神選手:「はい。名乗ってるだけですが(笑)。」
編集部:「いえいえ。2年間連載(れんさい)をされるほど素晴らしい食事のレシピを作られたりしてるので、そのサポートが大きいと思います。」
明神選手:「それは大きいです。ほとんどお任せで、出されたものを美味しくいただく(笑)。勉強して、色々考えてやってくれています。」
編集部:「明神選手をサポートするために栄養の勉強をしたということは、素晴らしいですね。どういう料理が多いですか?」
明神選手:「僕がごはん好きなので、それに合う物が多くなりますけど、彼女はどちらかというとイタリアンみたいなのを作りたいみたいです(笑)。パスタやサラダもよく作ってくれますが、美味しいですよ。」
編集部:「結婚前と結婚後で、食生活は変わりましたか?」
明神選手:「もうガラッと変わりました。この年齢まで現役でプレイ出来ている事自体、そのおかげだと思います。」
編集部:「奥様のお料理で、何が一番お好きですか?」
明神選手:「僕はね、ショウガ焼きが好きなんです。」
ひさこ先生:「ショウガ焼きは、どちらかと言うと単純なメニューですが、それが美味しいっていうのは、すごくお上手なんだと思います!単純なものほど美味しく作るのって、すごく難しいと思うので。それにビタミン“愛”が入っていて(笑)。」
明神選手:「(笑)」
編集部:「乳製品はお好きですか?」
明神選手:「ヨーグルトは大好きです。朝と、たまに夜食べることもある。朝はフルーツにヨーグルトをかけて食べます。甘いほうがどちらかというと好きですね。もちろんプレーンでもいいんですけど、朝はちょっと甘いものが欲しくなるので。
牛乳は、小さころは給食でも出るし、家でも毎日飲みましたが、今は家で牛乳を飲むのはカレーライスの日ぐらい(笑)。カレーを食べたら牛乳を飲みたくなるんですよ。2杯、3杯いけますね。
チーズも、ブルーチーズとかはちょっと無理なんですけど、他は全然大丈夫です。」
編集部:「チーズはイタリアンにも出てきますよね。カルシウムは意識していますか?」
明神選手:「そうですね。一応意識はしていますね。」
編集部:「サッカー少年、サッカー少女にアドバイスをお願いします。」
明神選手:「練習をやる、技術をみがくとかいうのはもちろんですけど、それを発揮(はっき)しないと意味ないし、発揮するためには健康で動ける体があって、しかも良いコンディションじゃないと出せない。
良いものをもってるのに、不摂生(ふせっせい)で寝不足とか、栄養不足のせいで相手に負けちゃうっていうのは、もったいないし、くやしいと思う。技術をみがくのと同じくらい、食べること、栄養は非常に大事だと思います。」
編集部:「すごく良いアドバイスをいただきました。では、子ども時代に保護者の方にしてもらってよかったなと思うことや、保護者の方にアドバイスをお願いします。」
明神選手:「自分の親もそうでしたけど、しっかり食事を作ってくれたのは非常に大きいと思いますね。自分の原点を作ってくれた。
応援に来て、うるさくキャーキャー言ったりもしてましたけど(笑)。だからといって、サッカーのプレイに関してはあんまり言われることはなかった。『頑張りなさい』とは言うけれど、あれはダメだったとか、あぁしろこうしろってことは一切言わなかったですね。」
ひさこ先生:「小学5年生で千葉に引っ越したときは、ご両親がチームを探してくれたり、練習を見に連れていってくれたのですか?」
明神選手:「はい、そうですね。神戸から引越す事になり、強いチームをコーチに聞いたら、イーグルスっていうチームがあると聞いて。引っ越してまず地元のサッカーチームに行ったんですがあまりレベルが高くなかった。それで、親が『少し遠いけどイーグルスを見に行く?』と言ってくれて、連れていってもらいました。」
ひさこ先生:「そういう食事以外の環境を作るサポートもしていただいていたのですね。」
明神選手:「もちろんそうですね。」
編集部:「サッカーをしていて、良かったと思うことは何ですか?」
明神選手:「やっぱり好きな事を仕事にして、それを見て応援してくれたり、喜んでくれる人がいるっていうのは、すごくうれしいです。」
色紙に書かれた「天才は有限 努力は無限」は、中学校の先生が教えてくれた言葉だそうです。常に努力を続け、自分に限界を作らない姿勢でプレイを続ける明神選手にピッタリの言葉ですね!
心の残るお話を、ありがとうございました!
1978年生まれ、兵庫県神戸市出身。小学2年生より神戸市の木津SCでサッカーをはじめ、小学5年生に千葉県へと引越してイーグルスユナイテッドFCに編入。その後柏レイソルのユースを経て1996年に柏レイソル入団。2000年にJリーグベストイレブンを受賞。シドニーオリンピック代表選出に選出され、 2002年の日韓ワールドカップにも出場。2006年にガンバ大阪に移籍し、2010年から2013年までキャプテンを務める。2014年にはプロ入り19年目にして初のリーグ優勝を経験した。
1980年創部の松下電器産業サッカー部を前身とし、1993年のJリーグ開幕当初から加盟している「オリジナル10」の一つ。ホームタウンは、大阪府吹田市、茨木市、高槻市、豊中市、池田市、摂津市、箕面市。
ガンバとは、イタリア語で「脚」を意味する言葉で、日本語の「頑張る」にも通じ、「チーム一丸となって勝利を目指して頑張るチーム」「どんな状況でもガンバって勝利を勝ちとるチーム」「大阪をホームタウンとし、大阪を中心とした関西ファンの声援を受けてガンバるチーム」「日本一、世界一のクラブ組織に向けてガンバるサッカークラブ」という気持ちが込められている。
■公式サイト
http://www.gamba-osaka.net/