スポーツ食育インタビュー

Vol.26 前編 京都サンガF.C. 山瀬 功治選手

5歳ではじめたサッカー。サッカーを続けることは自分にとって“当たり前”
インタビューを受ける山瀬選手

編集部:「サッカーは、いつ、どんなキッカケではじめましたか?」

山瀬選手:「5歳から小学校まで、地元のクラブチームに入ってました。入ったキッカケは、全然覚えてないのですが。続けた理由は、考えたことが無いです。続けることがふつうだと思っていたので。」

編集部:「しんどい、やめたいと思うことはありませんでしたか?」

山瀬選手:「しんどいこともありましたけど、イヤになったりやめようと思ったことは一度もないです。サッカーをするのが、自然なことだと思ってたから。単純に好きだから続けてたんでしょうし。」

編集部:「サッカーの魅力(みりょく)は何でしょうか?」

山瀬選手:「なんですかね。感覚でしか言えないですね。自分自身に合ってたんじゃないかな。走ったり、蹴(け)ったりすること、全部ひっくるめて。
足は速かったとは思いますけど、走るのが好きではないんですよ(笑)。走るのが好きだったら、陸上選手になればいいと思うんですけど。ゲームが好きな子にどこが好きか聞けば、楽しいからってなるだろうし……感覚的なものじゃないかと思います。」

編集部:「いつぐらいから、プロになる夢を持つようになりましたか?」

山瀬選手:「なりたいというか、このまま続けていてなるんだろうな、と思ってました。僕が小学校高学年くらいの時にJリーグが始まって、プロサッカーを観るようになって、サッカー選手になりたいとは思いましたけど、『夢はサッカー選手になる事です!』みたいな感じじゃなかった。自分の中ではサッカーをやめるイメージが全くなく、死ぬまで続けていくものって考えしかなかった。となれば、当然選手になるんだろうと思ってました。
でもそんな大それたことは、ほかの人には言わなかったです。」

中1でブラジル留学。何も知らなかったからこそ、飛びこめた
試合での山瀬選手

編集部:「13歳で単身ブラジルに留学しましたが、どういう理由で留学を決めたのですか?」

山瀬選手:「よく聞かれるんですけど、今みたいにインターネットが発達している時代でも情報がそんなにあるような時代でもなかった。そんな時に『ブラジル留学に行く?』って聞かれて。当時は小6で判断する基準がないし、正直よく分からなかったんです。まずブラジルがどこにあるかも分からなければ、どれだけ大変なことかも分からない。
当時『キャプテン翼』というマンガが流行ってて、その中にブラジル留学の話があったせいか、“ブラジル”や“留学”という響きがカッコイイ! っていうだけ(笑)。正直、まったく何も考えてなかったです。『俺ブラジルに留学するのか、カッコイイじゃん!』みたいな。」

編集部:「不安はなく、すぐに行くことを決めたのですか?」

山瀬選手:「そうですね。逆に、イヤだという判断をする知識がなかったですね。何も知らないですからどれだけ大変なことか、まったく分かってなかった。
もし、今の知識がある状態で当時にもどったら、もしかしたら行かなかったかもしれない。でも当時は、ただ言葉の響きのカッコよさや、『マンガと同じ世界だ!』っていうだけ。だから大した決意もなかったけど、逆にそれがよかったかなと思います。」

編集部:「ブラジルの食事の印象を教えてください。」

山瀬選手:「野菜だけでなく、料理全般(ぜんぱん)、美味しかったイメージは全くないです(笑)。毎日、寮(りょう)の食事で食べられるものがあまりないという状態でした。
ただ、ブラジルにはごはんに豆のスープをかける“フェジョン”というポピュラーな料理があるんですが、大豆とか豆類は体に非常に良いものだから、自然とたくさん摂取(せっしゅ)出来て、それは良かったと思います。おかげで、今でも色々な豆料理が大好きです。」

インタビューを受ける山瀬選手

編集部:「成長期の一番食欲が出る時期に、食べられるものが少ないのはつらかったですね。」

山瀬選手:「そうですね。だから本当は他にも色々な種類の食材を摂(と)らないといけなかったのですが、最低限豆だけは摂っていまいたね。」

編集部:「ブラジルでは当然、サッカーの環境も変わりましたか?」

山瀬選手:「同じように日本からブラジルに留学する人が、20人ちょっといたんです。高校を卒業した人とか、色々な年齢層の人が。そういう人達に混じって練習してたんです。中1の僕が、高卒や20歳の大人と一緒にサッカーをやる。レベルが高い中でやるので、いい経験にもなったし、そういう人達と話しているだけでも、色々な考え方を知り、学んだり成長できる部分がたくさんありました。」

ひさこ先生:「それは、日本人の留学生だけで練習するのですか?」

山瀬選手:「そうです。よくある個人単位で現地のクラブチームに入るのとは、違うスタイルです。日本中からブラジルに留学したい人達が集まり、その学生寮でブラジル人の監督のもと指導を受けて技術を学ぶ。結局日本人同士で練習しているだけだから、大人だとちょっと物足りなさはあるかもしれない。でも当時の自分の年齢を考えたら、身になる部分はたくさんありました。」

編集部:「現地の選手と試合することはありましたか?」

山瀬選手:「留学メンバーでチームになり、現地のブラジル人のクラブチームや社会人チームと対戦していましたが、基本的に大人対大人。僕は子どもだったので、出られなかったんです。」

編集部:「海外の選手との体格差や、食事の量とか内容とか、ちがいを感じましたか?」

山瀬選手:「それは、日本にいても感じます。僕は小さかったから特に。体格に関していえば、同じ年くらいの子と一緒にサッカーをする機会もありましたが、大人みたいにデカい子もいれば、同じように小さい子もいたし、そこは人種の差っていうより個人差ですね。
それは今、僕らプロの世界でやっていてもあります。チームメイトにブラジル人もいて、身体能力のちがいを多少感じる部分はあります。でも日本人でも同じような身体能力を持っている選手もいるから、やっぱり人種どうこうじゃなく、個人差なのかと思います。」

編集部:「その国ならではの食べ物や料理で、強さの秘訣(ひけつ)みたいなものはありますか?」

山瀬選手:「ブラジルで言えば、フェジョンじゃないですか。韓国でいうキムチじゃないけど、国民食っていうか普通の食べ物。シュラスコという肉もとてもよく食べます。日本で言うと焼肉のような感じで。」

編集部:「両方の環境(かんきょう)を味わって、日本の食生活の良さを感じましたか?」

山瀬選手:「そうですね。食生活に関して言えば、やっぱり日本のクラブもそうですし、高校のサッカー部とかに関しても、知識や情報がしっかりと入っていると思うので、どういうものを食べれば良いかわかっている。またそういうものを食べられる環境はあるから、恵まれてるんじゃないですか。
ブラジルだと、ちゃんとしたクラブチーム、プロチームのアカデミー組織に入っていればそういう食事が食べられますが、そうじゃなかったら栄養バランスを考えて食べられるほど裕福じゃない人も多い。日々食べられるかどうか、っていう中で生活している人もいると思うし、そういう意味で、日本はやはり良い環境だと思います。」

取材日:2015年5月22日

ブラジルでの経験を通して成長し、たくさんのことを学んだ山瀬選手。後編では、プロになってからの食生活を中心にお届けします。どうぞお楽しみに!

後編に続く 乞うご期待!! 次回更新日9月15日(予定)

選手&チームのご紹介
山瀬功治(かたぎりなつみ)選手

北海道出身。2000年コンサドーレ札幌のデビュー戦でゴールを決める。2001年U-20ワールドユースに出場。2001年にはJリーグ新人王タイトルを獲得。その後浦和レッズを経て2005年に横浜F・マリノス、2011年に川崎フロンターレへ移籍。2013年より京都サンガF.C.へ移籍し、2014年には主将を務めた。力強いドリブルと高いテクニックを武器とし、各世代の日本代表を経験してきた実力者。

コマツ女子柔道部

京都府京都市、宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、木津川市、亀岡市をホームタウンとするプロサッカークラブ。1996年に京都パープルサンガとしてJリーグに加盟。2007年に「京都サンガF.C.(KYOTO SANGA F.C.)」へと名称を変更。
2015年のシーズンスローガンは、「真摯(しんし)な姿勢で、改め、新しくする。」そして、「素直に、実直に、成長の道を歩み続けたい……」という姿勢と思いを宣言した「SANGA INNOVATION(サンガ・イノベーション)」 。

■公式サイト
http://www.sanga-fc.jp/
■公式ツイッター
http://twitter.com/sangafc
■公式フェイスブック
http://www.facebook.com/official.KyotoSanga

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