スポーツ食育インタビュー

Vol.17前編 FC岐阜 川口能活選手 サカイク×ごはんだもん!げんきだもん!コラボ企画

高校時代は下宿生活。ハードな練習で食事量がダウン。
インタビューを受ける川口能活選手

編集部:「中学から高校に上がると練習がよりハードになりますが、川口選手はどうでしたか?」

川口選手:「清水商業高校に入ってからは下宿になりました。中学と高校での変化は早朝練習ですね。中学までは朝食しっかり食べられていたのですが、朝7時からの練習になって、あまり食べられなくなりました。あんまり食べ過ぎてしまうと、全部吐(は)いてしまうので、食べないで練習して、朝練が終わってからおにぎりやパンを食べていました。お昼はお弁当、夜は下宿先でのごはんだったのですが、練習がハード過ぎたのもあって、あまり満足な食事とは言えなかったですね。」

編集部:「栄養がもっととれていれば……と今になって、思うことはありますか?」

川口選手:「高校時代の栄養に関しては満足できるものではなかったけど、サッカーがしっかりできていたので充実していましたね。当時は食事に関しての知識や意識もなく、気になり出したのはプロに入ってから。今のJリーグの育成にいる子たちは本当に恵まれているなと思いますね。競争はきびしくなったけど、栄養に関してのアドバイスをもらえるのは素晴らしい環境だと思います。」

ひさこ先生:「中学の時に急激に身長が伸びたと言われましたが、伸び率で言うと、高校の時は少なかったのですか?」

川口選手:「中学では上に伸びたんですけど、横には伸びませんでした。高校では入学前の177cmから、卒業時は180cmと身長はあまり変わりませんでしたが、ハードな練習の甲斐もあって横に伸びましたね。栄養をとることが身長の伸びにつながるのか分かりませんが、今になってはもう少し栄養をしっかりとっていればとは思いますね。」

ひさこ先生:「身長を伸ばしたいというジュニア選手は確かに多いですね。ただ身長に最も影響(えいきょう)を与えるのは“遺伝(いでん)”なのですが、食事や睡眠時間でも大きく関わると言われています。」

川口選手:「プロに入ってからは、身体もしっかりしていないとダメだと思い、周囲からアドバイスをもらったり、自分で勉強して、高校3年間の分も取り返そうと食事に関して徹底(てってい)するようになりました。周りから見ればストイックに思われるかもしれませんが、食事制限をするのは自分の中では当たり前の事になっていますね。」

母の“野菜の煮物”が思い出の味。
川口能活選手 © Kaz Photography / FC GIFU

編集部:「高校時代での食に関する思い出はありますか?」

川口選手:「サッカーをやりたい思いが強くて、食事をとる時間もなかったのですが、時々、親からの仕送りで外食をしたりしていました。近くに安い中華料理屋があったのでラーメンを食べたり、定食屋に行った事をおぼえています。」

ひさこ先生:「ちなみに、ご家族もスポーツをされていましたか?」

川口選手:「両親は父が中学生の時に水泳をやっていたくらいでしたが、兄が僕より前にサッカーをやっていて、中学、高校は柔道をやっていました。母は何もやっていませんでしたね。」

ひさこ先生:「それでも、アスリート向けの食事を作ってくださっていたお母さまは素晴らしいですね。」

川口選手:「当時、プロリーグも無かったので、自分の息子をサッカー選手にするためというより、しっかりした物を食べさせたいという思いが両親にはあったのかもしれませんね。」

ひさこ先生:「先ほど、お母様手作りの“野菜の煮物”のお話が出ていましたが、よく小学生に『知っている野菜料理をあげて』とたずねても野菜サラダや野菜炒めで終わって、煮物やおひたしの名前ってあがらないんです。それが、川口選手からはサラダではなく煮物の名前が真っ先にあがったので、すごいなと思いました。」

川口選手:「サラダを食べた記憶よりも、野菜を工夫した料理が多かったですね。今になって思うと、一手間も二手間もかけてくれた味ですよね。」

ひさこ先生:「作られたお母様もご立派ですし、それがすぐ記憶から出てくる川口選手もすごいですね。」

川口選手:「あとは漁港の街・静岡だったので、シラスも干した物ではなく、釜揚(かまあ)げシラスを食べていたんですよ。釜揚げシラスが普通だったので、僕が静岡から出た時に一般的に売られてないのにはビックリしました。県外でシラスといえばシラス干しだったんですが、シラスは干した物ではなく、釜揚げが普通で、シラス干しはシラスではないと思っていました(笑)。」

取材日:2014/03/26
写真提供:FC岐阜

選手&チームのご紹介
川口能活(かわぐちよしかつ)

9歳からサッカーを始め、小学校4年生の頃から本格的にG Kとしてプレー。清水商業高校3年時には全国高校サッカー選手権で日本一になるなど輝かしい学生生活を送る。横浜マリノス入団後も2年目からスタメンの座を掴み、新人王を受賞し、五輪代表、フル代表も経験した。イングランドとデンマークでのプレー経験も持つ。

FC岐阜

2001年4月に設立。
チーム発足後、2002年に運営母体となるスティックルバック・スポーツクラブ(SSC/大垣市)が結成され、全国でも珍しい総合地域型スポーツクラブを目指して、特定非営利法人(NPO)として活動を始めた。

その後、株式会社岐阜フットボールクラブが設立され、2007年に日本フットボールリーグ(JFL)に昇格すると、3位以内に入り、Jリーグへの昇格を決めた。 2008年より、念願のJリーグディビジョン2での戦いが始まり、Jリーグディヴィジョン1への昇格に向けて、新たな挑戦が始まった。

公式サイト:http://www.fc-gifu.com/

後編に続く 乞うご期待!! 次回更新日6月15日(予定)
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