今回は、選手として世界で活躍し日本のショートトラックの基盤(きばん)を作ってこられ、現役引退後は指導者として日本代表選手を育成・指導してこられた柏原幹史(かしわばらみきひと)さんにお話をうかがいます。
今年2月にソチオリンピック、3月に世界選手権に同行され帰国したばかりの多忙(たぼう)な柏原さんに、ショートトラックの魅力(みりょく)と食事の関係についてお話しをしていただきました。
編集部:「まずはショートトラック競技について、簡単にご説明頂けますか?」
柏原さん:「ショートトラックは都会を中心として発達したスポーツで、ホッケーやフィギュアスケートと同じサイズで行い、大勢ですべって『着順(順位)』を競う競技です。ショートトラックがオリンピックで正式種目になったのは1992年からで、私は高校から選手としてショートトラックをしていましたが、当時世界選手権はあってもオリンピック種目にはなっていませんでした。」
編集部:「柏原さんのスケートとの出会いは?」
柏原さん:「実はずっと野球少年で、早稲田実業に中学から入学しました。しかし中学2年の時、野球部がしばらく休部になってしまいました。その間スケートをしていて近所のスケート靴(くつ)屋さんに行くとクラブに勧誘(かんゆう)され……そこから本格的にスケートを始めたんですよ。」
編集部:「子どものころはどのような食生活でしたか?」
柏原さん:「そのころは今ほど恵まれた環境ではなかったですが、何でも食べさせられ残すと怒られたので、好ききらいは無かった。まずいと思う食べ物もありませんでした。親のしつけは大事ですね。」
編集部:「乳製品は好きですか?エピソードがあれば教えてください。」
柏原さん:「子どものころから乳製品は大好きです。昔は給食に脱脂粉乳(だっしふんにゅう)が出て、おいしくないと残す人も多かったけれど、自分はまずいと感じた事がなく、それをもらっておいしく飲んでいました。牛乳、チーズ、ヨーグルトが好きで、成長期には相当食べていました。」
編集部:「スケート選手になってから食生活に変化はありましたか?」
柏原さん:「栄養に気をつける様になったのは、強くなってきた高校2年の時くらいからでした。ただスポーツ栄養の面で情報がなかったころで、たくさんトレーニングをしていっぱい食べるだけでした。」
ひさこ先生:「いわゆる『スポーツ栄養学』が注目されるようになったのは1988年のソウル五輪の時からで、柏原さんが高校生の頃は、まさに『たくさん練習してたくさん食べろ!』の時代だったと思います。」
編集部:「成長期の選手について指導の難しさはありますか?」
柏原さん:「女性らしい体格になり始めたころの栄養とトレーニングについては、かなり指導します。好ききらいをさせない。必要な栄養はとらないといけないけれど太らせてはいけない。成長期であまりにも女性らしい体型になってしまうと、選手として厳しいからです。
フィギュア選手の例だと、成長期に体型が変わったり身長が伸びてバランスが変わり、出来ていたジャンプが上手くとべなくなるなど、特に中学から高校までは一番難しい時期です。ただ、今の子は炭水化物をとり過ぎると太ると知っていてご飯を食べないので、食べる時間に注意してしっかり食べるよう伝えています。」
ひさこ先生:「ご飯に代表される炭水化物は、アスリートにとって体を動かすだけでなく、頭も働かせる大事なエネルギー源です。炭水化物をとらないで運動するということは、脳のエネルギー源が不足している状態、つまり注意力や集中力の不足している状態で、思わぬケガにもつながりかねません。」
柏原さん:「ショートトラックの試合は予選から決勝まで1日4~5レースすべらないといけないので、その間は体力をもたせるのが非常に大切です。選手達は経験から食事のコントロールを上手くやっていて、夏の練習時には1日3,000kcalくらい食べています。」
ひさこ先生:「男子のアスリートは一般(いっぱん)的には3,500kcal、女子は大体その8割くらいと言われています。男子で3,5000kcalだと女子は大体2,800kcalですね。」