編集部:「食事の面以外でも、ご家族のサポートを感じることはありましたか?」
立花さん:「母はプレッシャーを与えることなく育ててくれたので、非常に感謝しています。今指導をしていると、子どもに押し付けてしまう保護者が多いように感じます。私も母に厳しく言われた事もありましたが、最初に選択肢を与えられヤル気にさせられていたので、ほめられる事は無かったけれど、干渉(かんしょう)されないので、バックアップを心強く感じていました。」
ひさこ先生:「選手への声かけでも“差”がでるのは、コーチ+家庭が大きいのでしょうね。コーチの存在はいかがでしたか? 」
立花さん:「選手への声かけは、すべての選手に対して同じではなかったです。子ども一人ひとりを見て、それぞれ変えていました。強制的に食べさせたり自由にさせたり、みんな一律(いちりつ)ではなかったので、上手いなと思いました。選手時代には気づきませんでしたが、今は私も指導者の立場になり、コーチは子どもの事をよく見ているんだな、と気づきました。 」
編集部:「立花さんは、1996年アトランタ五輪から3大会続けて五輪に出場し、銀4、銅1のメダルを獲得(かくとく)され、2011年に水泳の国際殿堂入りを果たされました。大変なご活躍(かつやく)の裏には、想像できないほどのご苦労あったと思います。浮力のために体脂肪率をあげるなど、生活や食事について、特に気をつけていたことを教えてください。」
立花さん:「浮力のためとは考えなかったのですが、トレーニングは、長い時で13時間位プールに入っているので、それにたえられるだけの身体づくりが必要。全身見られる競技だし、細すぎてもいけない。毎日朝と練習後にチェックしていました。私は簡単にやせるタイプだったので1日2kg前後落ちてしまい、せっかくつけた筋肉もムダになってしまうので、それをすぐに取りもどすため食べていました。食べ続けないと、どんどん体重が落ちてしまうんです。どういうものなら食べやすいか試行錯誤(しこうさくご)し、プロテインもただ飲むのではなくミックスジュースにしたり、おもちなら食べやすかったので合宿にオーブントースター持参で食べたり。気持ちの負担にならないように自分で食べやすい状態にしていました。選手時代の後半には、体重コントロールができるようになっていました。」