今回ご登場いただく立花美哉(たちばなみや)さんは、1996年のアトランタ、2000年のシドニー、2004年のアテネと3大会に出場し、合計5個のメダルを獲得(かくとく)。引退後は指導者として、日本代表ジュニアチームのナショナルコーチを務めています。そんな立花さんは、どのような“ごはん”を食べて世界で活躍してきたのでしょうか?
管理栄養士の久保田ひさこ先生といっしょに、たっぷりお話をうかがいました。
編集部:「まずは、子どものころのお話からうかがいます。立花さんは、食べ物の好ききらいはありましたか?」
立花さん:「私はすごく食が細い方で、シンクロを始めるまではガリガリだったんです。きらいな食べ物も多くて、野菜類、特にトマトやピーマンが苦手でしたね。でも、母がちゃんと栄養バランスを考えた食事を出してくれて、きらいな物もイヤイヤながら食べていたので(笑)、身長ものびましたし、体も作られていったのだと思います。」
編集部:「朝ごはんは、どんなメニューでしたか?」
立花さん:「和食でした。シンクロを始めてからは、好ききらいが多く食の細い私のために、母が徹底(てってい)した栄養管理をしてくれたんです。栄養価の高いものやバランスを特に重視して、朝からカレーやかつ丼など、ボリュームがあり炭水化物もしっかりとれるものを食べていました。」
編集部:「小学生のころからシンクロをはじめて、中学3年生でジュニア日本代表、高校2年生でナショナルAチームに選ばれるという快挙を達成されていますが、どんな学生生活を過ごされたのでしょうか?」
立花さん:「小学6年のころから中学時代は、下校後地元の京都から大阪の井村コーチの元へ練習に通っていました。高校は大阪の学校だったので、早朝に起きて通学し、放課後練習に行って、帰宅も夜おそかったです。」
編集部:「中高時代は一番食欲が活発になる時期ですが、どんな食生活を送っていましたか?」
立花さん:「中学生の頃から、補食は欠かしませんでした。体重管理を始めてからは、いかに量が少なくハイカロリーのものをとるかを考え、おもちなどを食べていましたね。手軽に持ち運べるものだと、バナナとかも。クラブで行われる栄養指導は、母も一緒に受けて、母が栄養の勉強をしてくれて、私は『食べるのが仕事』っていう感じでした。」
ひさこ先生:「スポーツ選手は、食べることがトレーニングの一環だ、というところがありますよね。」
立花さん:「はい。体を作るために、いかに量を食べるかが課題で、もう訓練ですね。食べる量や体重を管理するよう言われました。食べるのがおそいと、どうしても食べきれなくなる。時間制限もあるので、食べるスピードが一気に上がりました。
最初は本当に食べられなくて……。口には入るんですが、飲みこめない。それで水ばかり飲むから、余計お腹がふくれて入らなくなる。それでも早く食べないと先ぱいが待っているし…つらかったですね。訓練をして、どうにか食べられる様になりました。」
ひさこ先生:「長年ジュニアサッカーの選手を見ていますと、食べるスピードも重要なんだと痛感することがあります。メダリストになるということは、食事も含めて自分への働きかけがちがうんですよね。」
編集部:「お母さんのお弁当で、思い出に残っているものはありますか?」
立花さん:「とにかく、人よりもかなり量が多い。あきないように考えてくれて、毎日バリエーションのあるお弁当でした。おにぎりはいつも持っていて、母がよく作ってくれたのは、一気にカロリーが取れて満腹になるような、牛肉入りおにぎり。下校から練習する間や練習後に、分けて食べていました。
今は私も親になりましたが、当時の母はかなり大変だったと思います。私だったら、あそこまでできるかな、と思うくらい。」
編集部:「食事の面では、お母様のサポートが大きかったのですね。」
立花さん:「家だと甘えが出るので、つかれて食べずに寝てしまった時も、母にたたき起こされ食べさせられたり……家族には助けられました。」
ひさこ先生:「“食”を通して子どもがやりたいことをサポートするお母様は、本当に素晴らしいと思います! やはり、子どもにとって“家族は最強のサポーターですね。」