食育スペシャルインタビューVol.4「JEOサッカークリニック代表・小松原学氏」

Vol.4 JEOサッカークリニック代表 小松原 学

今回ご登場いただくのは、1998年にわずか17歳と9日でJリーグ最年少デビュー(当時)し、引退後は鍼灸整骨院(しんきゅうせいこついん)を経営するかたわら、小・中学生を対象とした「JEOサッカークリニック」を運営、指導にあたっている小松原 学さん。
元プロ選手、現役指導者、そして柔道整復師(じゅうどうせいふくし)としての立場から考える「食」について、お話をうかがいました!

きらいなものは飲みこむ! 何でもよく食べた少年時代
「JEOサッカークリニック」を運営、指導にあたっている小松原 学さん

4歳でサッカーを始めたぼくは、小学2年生でプロになることを決め、毎日練習にあけくれていました。きびしいチームで、かなりスパルタ。本当は梅干しなどつけ物が苦手なのですが、キャプテンだったので苦手な物が出ても率先して食べるようにしていました。とりあえず全部口に放りこんで、一気に飲みこんでましたね(笑)。
当時は食育という考えがなかったので、栄養について教えてくれる人がいなかった。とにかく“バランスよく全部食べること”がよいとされていました。もし今みたいな環境があったら、もっと効率的な食事ができていたかな? と思います。でも結果的に、何でも食べることでバランスよい食事がとれていたと思います(笑)。

ぼくは食べないと全然動けない身体で、給食だけじゃ物足りなくて、学校が終わったあと、急いで家に帰りごはんを食べてから練習に行っていました。給食では牛乳がよくあまるから、毎日2本は飲んでいました。ご飯もおかわりしてましたね。試合の時のお弁当は、おにぎりをたくさん食べていたのをおぼえています。
子ども時代って、親の作るものが本当に影響してくる。子どもにとっては出されるものがすべですから、親の食事に対する意識は大事だと感じます。

管理栄養士の先生から食事の大切さを学ぶ
「カテゴリーU17」の世代別代表に選ばれる

中3の時に、一つ上の「カテゴリーU17」の世代別代表に選ばれ、アジアカップを戦ったのですが、そこでは専属の管理栄養士が選手一人ひとりの体調を管理し、万全な状態で試合に望めるようにしてくれていた。当時ぼくは野菜の摂取量が少なく、食事中の写真を撮られて、「あなたの食事には茶色いお肉系しかない。バランスよく、野菜も食べなさい。」って怒られました(笑)。
でもただ怒るだけではなく、同時に「この野菜はこれだけビタミンが入っているから、疲れにくくなり後半も走れるような体になる」など納得がいく説明をしてくれる。理由がわかったら納得できるし、自分でも勉強しましたから、意識して野菜を食べるようになり、食事が楽しくなりました。
そしてだんだん、栄養について興味が出てきた。医学や医療にも興味があったし、自分の身体についても栄養を意識するようになりました。

ベルマーレ平塚ジュニアユース時代

このころ、サッカーのできる環境を求め、ベルマーレ平塚ジュニアユースに入り寮生活を始めました。寮では毎日バランスの取れた食事が食べられる。学校に持っていくお弁当は、近くのお弁当屋さんで栄養バランスに気をつけたものを作ってくれるところがあったので良かったです。高校の時には、もう食育的にはかなり優等生でしたよ。
そして「Jリーグ最年少出場をする」「代表のキャプテンになる」という目標が生まれ、それには何が必要か自分で考え、時には代表の管理栄養士の先生にアドバイスをもらい、より効果的な食事をとるように心がけました。
その結果、高1の時にJリーグ最年少デビューし、代表のキャプテンになることもできました。

つづき
「スポーツ食育インタビュー」トップに戻る

ページトップへ