スポーツ食育インタビュー

Vol.30 前編 車いすアスリート車いすアスリート 土田和歌子選手

スタートから3ヶ月でパラリンピック出場。くやしい気持ちが長野へのバネに
インタビューを受ける土田和歌子選手

編集部:「競技についておうかがいします。土田選手は、94年のリレハンメルと98年の長野のパラリンピックは、“アイススレッジスピードスケート”に出場なさいましたよね。競技との出会いについて教えてください。」

土田選手:「98年に長野でオリンピック・パラリンピックが開催されることに決まってから、アイススレッジの講習会があったんです。そこに遊び心で友人と参加したところ、講師で来ていたノルウェーの方に『リレハンメルに出てみないか』と声をかけられて。その時、リレハンメルまで3ヶ月しか無かったんですよ。あり得ないですよね(笑)。アイススレッジは日本ではほとんど知られていない競技だったために選手がいなかったこと、19歳という若さ、そして体の柔軟性。そこを見込まれての起用だったんじゃないでしょうか。私も好奇心旺盛だったから『やってみよう!』と。
でも、日本には歴史のない競技だったので当時の指導者の方々と試行錯誤しながら、見よう見まねの3ヶ月。日本からは男女一人ずつ参加したのですが、結果は惨敗でした。くやしくて涙が出ましたが『次の長野で、屈辱(くつじょく)を晴らしたい、リベンジしたい!』と思ったんです。長野は自国開催ということで、アイススレッジのチームが出来て、たくさんの選手が集まってきました。栄養士やトレーナーの方もいらして、体制は整ったのですが、練習環境は過酷でしたね。
アイススレッジは、長座した状態でソリに乗って、歯のついたスティックをついて前に進むため、氷に傷がつく。スピードスケートの選手は氷の傷をいやがるため、同じリンクで一緒に練習するのは難しいんです。しかも関東には練習場が少なく、長野や山梨に行って、他の方の練習が終わった後、夜中に練習しました。日本にいるのに、何だか時差を感じましたよ(笑)。
でも、その苦しい局面を乗り越えたからこそ、メダルが取れたんだと思います。」
(※土田選手は、100mと500mで銀メダル、1000mと1500mで金メダルを獲得。1500mでは世界新記録をマーク)

編集部:「くやしい気持ちがバネになったんですね。」

土田選手:「3ヶ月しかやらずにここまで来たけど、次は4年もあるんだからどんなことが出来るんだろう? と楽しみになったんです。もちろん、当時は競技者としての心技体が整っていたわけではないので、そのつど挫折(ざせつ)はありました。最終的にメダルが獲得できて、長野は良い思い出です。」

陸上に転向し、肉体改造。海外遠征で欠かせないのは“おモチ”
試合中の土田和歌子選手

編集部:「その後、陸上に転向しましたが、違いはありましたか?」

土田選手:「アイススレッジが競技種目から外れたので陸上に転向しましたが、陸上は選手層が厚い。海外の大会に出てみると、プロとして活躍している外国人選手がいたのです。。シドニーパラリンピックで周囲との違いを感じ、環境改善をする必要があると感じました。
そのころ、体がすごく小さかったんですよ。今は48kgですが、当時は39kgしかなかった。食も細いし、どうすれば体が大きくなるのか全くわからず、苦労していましたね。今は、こんなにムキムキになりましたが(笑)。」

編集部:「栄養士の指導などはありましたか?」

土田選手:「長野のときの栄養士さんからは、その後もアドバイスをいただいたりしていました。」

編集部:「海外での食事は、バイキングが多いですか?」

土田選手:「そうですね。バイキングの時は、パンやパスタ、イモ類などを食べます。長距離はスタミナが必要なので、できるだけ炭水化物の食事を心がけていますね。ただ、長距離やマラソンは朝7時や8時といった早いスタートのことが多いので、そうするとバイキングに間に合わないため、部屋食になります。
私は無類の“モチ好き”で、海外遠征には必ずおモチを持っていくんです。でもホテルの部屋で焼くことはできないから、アウトドア用の“クッカー”というお湯を沸(わ)かせる器具を持っていって、そこで茹(ゆ)でる。
でも茹でただけじゃ味気ないなと思って、ふと思いついてインスタントみそ汁に入れてみたら、これがバッチリ! 時には、缶詰のアンコを使ってお汁粉風にしたりしています。おモチを食べると、元気になるんですよ。試合の時には、絶対に食べますね。ただ、海外の空港でスーツケースを開けられたときに『何だ? この白いものは?』って驚かれることもありますね(笑)。」

編集部:「海外の選手も、食事に気を使っていますか?」

土田選手:「うーん、やはり、海外の選手は大ざっぱですね。パンを一斤(きん)食べたり、ジャムを大量につけたり、紅茶にスティックシュガーを5~6本入れたり。そんな食生活でも強いんだから、日本式にちゃんと管理したらどれだけの身体能力になるんでしょう(笑)。
ただ、今までは短距離スプリントの選手が多かったけれど、時代とともに長距離ランナーが増えてきて、そうなると持久力を高める必要があるから、食事に気を使う選手は増えたように思います。」

良い食習慣を、親から子に伝えていきたい
インタビューを受ける土田和歌子選手

編集部:「毎日の食事は、どのようなことを気にしていますか?」

土田選手:「なるべく高タンパク低脂肪を考えていますが、子どもがいるので難しいですね。今は、かたよらずにお肉も魚も、上手にバランス良く摂るようにしています。とりあえず困ったら、冬は鍋! 息子は『また鍋?』って言いますけど(笑)。
息子は、スパゲティとかオムライスとか、一般的な子どもの好む洋食をあまり食べないんです。洋食よりも和食、ごはんと納豆、梅干し。その点ではありがたいですね。」

ひさこ先生:「脂質は、ふつうに生活していて不足することは、まずありません。むしろ摂り過ぎの心配があるものです。小さいころからそうやって育つと、成長して自炊や外食をしたときに、自然と調整出来るようになりますよ。」

土田選手:「私も、それを狙(ねら)っています。私自身もそうでしたが、子どものころの食生活は、その時にわからなくても、後々思い返してもらえるかな、って。」

ひさこ先生:「良い食習慣は、親から子に伝えられるものの一つだと思います。私は家であまり揚(あ)げ物をしないので、息子から『お母さんは、揚げ物が出来ないんだと思ってた』と言われたことがあります(笑)。」

土田選手:「うちも、揚げ物はあまり出なかったかな。父が自宅で、着物の刺繍(ししゅう)をする職人をやっていたころはお弟子さんがいて、彼らの食事を母が作っていたんですが、そのころは揚げ物がありました。でも彼らが巣立ってからは、私が『揚げ物が食べたい』と言うと、『じゃあ外に食べに行こうか』と。家では日常的に油を使わなかったように思います。」

取材日:2016年1月19日

競技者としても、また母としても、食生活に対して高い意識を持っている土田選手。後編では、トレーニングのこと、競技に対する思いについてをお伝えします。どうぞお楽しみに!

後編に続く 乞うご期待!! 次回更新日5月15日(予定)

選手&チームのご紹介
土田 和歌子(つちだ わかこ)

1974年生まれ、東京都出身。高校2年生の時に、友人とドライブ中、交通事故に遭い車いす生活となる。
1993年アイススレッジの講習会に参加したことがきっかけで、日本で最初にアイススレッジスピードレースを始める。1998年長野冬季パラリンピックでは1500mで自己の世界記録を更新し金メダルを獲得。1000mでも金メダルを獲得し2冠を達成。100m、500mでも銀メダルを獲得した。
1999年からは陸上競技に転向。2004年アテネ夏季パラリンピックでは5000mで金メダル、マラソンで銀メダルを獲得し、日本人史上初の夏・冬パラリンピック金メダリストとなった。
2008年北京パラリンピックでは5000mレース中のアクシデントによる怪我で2か月に及ぶ入院生活を送ったが入院先で現役続行を決意。2012年ロンドンパラリンピックでは日本選手団主将として出場も、マラソンで転倒し終盤挽回するも5位に終わった。
2013年10月には12年ぶりに自身の持つ公認世界記録を更新した。現在は海外メジャーマラソンレースを中心に活動し2016年リオデジャネイロパラリンピック、マラソン種目で悲願の金メダル獲得を目指す!
2014年10月より八千代工業所属 

■オフィシャルブログ
http://www.tsuchidawakako.net/

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